熊本地方裁判所 昭和58年(た)1号 決定 1988年3月28日
主文
本件について再審を開始する。
理由
一本件請求の趣意
1 請求人は、昭和三〇年一二月二三日、熊本地方裁判所において、強姦致傷罪により有罪判決を受け、これに対し控訴をしたが、昭和三一年四月一三日、福岡高等裁判所において控訴棄却となり(右判決を以下「控訴審判決」という。)、同月一六日原判決は確定した(この原判決を以下「確定判決」という。)。
請求人は、確定判決に基づき服役し、昭和三三年一月二六日、刑期満了により出所したが、その後も無実を訴え続け、これまで一二回にわたり自ら熊本地方裁判所に対し再審請求をしたが総て形式不備等の理由により棄却された。今回、刑訴法四三五条第六号の事由を新たに発見したので、本件再審請求に及んだものである。
2 その主張する新事実とこれを立証すべき新規、明白な証拠
(一) 確定判決において請求人が有罪と認定されたのは(1)○○A子(その後結婚し、現在は乙野A子。以下「A子」という。)、△△B子(同丙野B子。以下「B子」という。)の両名が「請求人がほぼ犯人に間違いない。」と指摘したこと、(2)請求人が全捜査過程を通じて一度だけ犯行を自白したことに尽きると思料されるが、その他に強いて言えば(3)被害者のズロースと請求人の褌に精液が付着していたことの三点のみである。しかし、右はいずれも請求人有罪の決め手とならない。
(二) (1)について
本件犯行現場は、付近に人家も街灯もなく、犯行時刻とされる午後一〇時ころには月明かりのみが照明になつているところであつて、約一メートルも離れると人の顔の識別ができないのであるから、強姦犯人に襲いかかられていち早く逃げようとしていたA子、B子の両名が、犯人の顔を識別できるはずがない。また、A子が追いつかれて強姦されたとしても、そのような異常事態に際し犯人の顔を識別するだけの明るさはなかつた。従つて、右両名が「請求人が犯人だ。」と供述したことは虚偽であつた。昭和三七年九月頃、請求人がA子の家を訪れた際、A子自身が、請求人に対し、「犯人があなただと言つたのはB子であり、私はあんな時に犯人が誰か顔も見ていない。B子が警察の人に言つただけだ。私はB子が言つたからそうかなと思つただけ。」と供述し、B子も、同五三年請求人が同女方を訪れた際、同じく「甲山(編注・請求人)さんだとははつきり分からない。甲山さんと違つたかも知れない。」と供述するに至つている。
なお、A子は、確定判決裁判所の審理当時、脳病院から退院したばかりであり、頭の弱い関係から若い男にいたずら遊びをされることも有り、とかく噂のあつた女性であつたというのであり、右事実もA子の証言の信用性に関わる事実である。
右事実を証明するための証拠は
一 熊本県<住所省略>に居住する証人乙野A子
一 同県<住所省略>に居住する証人丙野B子
一 本件犯行現場の午後一〇時ころの明るさについての検証
一 乙野A子方の向かい側の雑貨屋の女主人で同県<住所省略>に居住する証人C
一 当時株式会社××製煉所で請求人の上司であつた証人D
一 熊本地方気象台作成の証明書写し(甲第二五号証)
一 大阪信用興信所作成の「熊本出張調査追報」と題する信用調査報告書写し(甲第三七号証)
一 E撮影の写真一三葉(検甲第一ないし第一三号証)及び添付見取図一枚
一 京都府立医科大学講師伊藤直作成の鑑定書(甲第四〇号証)
(三) (2)について
請求人は、そもそも非常に真面目な男であり、事件当時の妻と今も慎ましく生活しているし、出所後も、事件前の勤務先に勤めているくらいであつて、日常生活態度からも到底婦女子に悪戯することなど窺知し得ない。本件犯行については、取調べ警察官から家に帰してやると言われてほんの一度きり自白した以外、捜査、公判を通じて一貫して犯行を否認しているだけでなく、その後も一貫して無実を訴え続けているのであつて、右態度に照らせば、請求人が一時的に犯行を認めたとしてもそれに証拠価値はなく、有罪認定の決め手にはならない。
右事実を証明するための証拠は、
一 請求人本人
一 請求人の妻である証人甲川花子
一 前記株式会社××製煉所の社長である証人F
一 請求人から弁護人相馬達雄宛の三六三通の手紙
一 大阪市都島区東野田町二の四の八明生病院内の医師である証人G
(四) (3)について
本件被害者A子と請求人の血液型はいずれもO型であり、請求人の妻のそれはA型である。ところで、褌、ズロース、ワンピースに附着している精液ないし血液の血液型はA型又はB型であり、それも鑑定によつて区々となつている。褌に少々の精液が附着しているのは当たり前であつて、しかも請求人は前日妻甲川花子と性交し当日褌を取り替えていない旨述べ、右褌に精液が附着していなかつたという月山鑑定もある。従つて、血液型一致による有罪認定は初めからあり得ない。そうすると、証拠価値のあるのはズロースに精液が附着していたということのみであるが、精液の新旧については調べられておらず、本件犯行時に附着した精液か否かは不明である。
右事実を証明するための証拠は
一 甲川花子の弁護士中嶋進治に対する供述録取書写し(甲第三四号証)
一 泉大津市立病院作成の甲山太郎に関する「血液型検査成績」と題する書面写し(甲第一九号証)
一 浜寺中央病院作成の甲山太郎に関する「血液型検査成績」と題する書面写し(甲第二〇号証)
一 浜寺中央病院作成の甲川花子に関する「血液型検査成績」と題する書面写し(甲第二一号証)
一 京都府立医科大学教授吉村節男作成の鑑定書写し(甲第三九号証)
一 群馬大学医学部教授古川研作成の血液鑑定に関する文書の写し(甲第四一号証)
一 神戸市生田区楠町七の一二神戸大学医学部法医学教室内の証人竜野嘉紹
(五) 以上の事実によれば、確定判決は極めて不合理であり、請求人を犯人と認定する証拠は皆無といつてよかつたのであるから、請求人に無罪を言い渡すべき場合であることは明白である。
二検察官の意見の要旨及び提出資料
1 請求人の今次再審請求の最も主要な主張は、
「現場の明るさでは犯人を特定しうる可能性はなかつた。」との主張であるが、そのうち新規証拠といえるのは、目撃証言の証言自体の信用性の問題に関する証拠(犯人の顔が見えなかつたのに請求人を犯人であるとした証言)のみであり、これに反し目撃証言の内容の正確性の問題に関する証拠については、自由心証の問題であつて新規性がないと解すべきところ、今回実施された夜間検証中最も内容豊富な第三回検証についてこれをみるに、同一性が分らないと答えた者は六〇名中五名のみであり、視力1.5以上の者は総て「分らない。」とは答えていない。目撃者の視力が1.2ということであれば加齢による視力の衰えを考慮した場合、同女の「犯人の顔が見えた。」とする証言に嘘はないことは明らかである。請求人がこの点につき提出した証拠は、犯行当夜に比し劣悪な条件下でなされた実況見分の結果であるか、又は月の反射光を考慮していない屋内における実験の結果であるかのいずれかであつて、むしろ目撃証言の信用性を裏付けるものである。
2 A子及びB子の両名が、自ら確定判決審理当時の供述が誤りであつたことを認めているとする点は、同女らが現在これに反する供述をしていることに照らし誤りである。
3 その他の主張も新規証拠の主張ではなく、過去における再審請求において、いずれも新規性がないとして請求が棄却されているのであるから、再審の理由にならないことは明白である。尤も、請求人の褌及び被害者のズロースに精液が附着していた事実について、確定判決は、現在把握されている事実関係に照らすと、積極証拠になるかどうか疑わしい証拠を、積極的に判決に摘示してしまつたかのように見え、「精通した」と自供しているらしい自白調書の信用性に影響を与えている。しかし、確定判決裁判所は、この点についての審理を行つたうえ結論を導いているとみなされる以上、この血液型の問題は「新たに発見した証拠」には該当しない(参照東京高裁決定昭和五五年二月五日高刑集三三巻一号一頁)。ただ、血液型の問題について疑問が残ることは事実で、請求人による精通の事実も虚偽供述の疑いを入れる余地があるが、血液型の問題が存在しても、なお自白調書の信用性は揺るがない、というのが確定判決の判断であつたと思料される。
以上のとおり、本件再審請求事件については、新たに発見した証拠が存在せず、棄却されるのが相当である。
資料として、以下の証拠を提出する。
一 検察事務官作成の「甲山太郎の再審請求について」及び「完結記録の保存及び廃棄状況について」と題する各報告書
一 昭和五八年四月一七日付乙野A子の検察官に対する供述調書(六枚綴りのもの及び四枚綴りのもの二通、以下順次同人の検面調書一、同二のように示す。)
一 同月一三日付丙野B子の検察官に対する供述調書(六枚綴りのもの及び一二枚綴りのもの二通、以下順次同人の検面調書一、同二のように示す。)
一 検察官作成の熊本地方気象台長に対する捜査関係事項照会書及び同回答書
一 平凡社発行世界大百科事典一五巻三四四頁ないし三五一頁の写し
一 乙野A子作成の任意提出書(謄本)
一 司法巡査作成の領置調書(謄本)
一 松橋警察署長作成の鑑定嘱託書(謄本)
一 熊本県警察本部刑事部科学捜査研究所技術吏員作成の鑑定書(謄本)
一 検察官作成の前科照会書及び検察事務官作成の同回答書(検察事務官作成の前科調書(甲)添付)
一 司法巡査作成の昭和五八年四月一一日付捜査報告書
一 Hの検察官に対する供述調書
三本件再審請求に至る経緯
そこで、本件請求に至る経緯を見てみることとする。
1 確定判決から請求人の服役まで
確定判決書(本件再審記録中証拠書類群《以下「書」で示す、本冊一及び別冊第一七冊中に編綴。》の二三九丁以下。)、控訴審判決書(書二四三丁以下)、請求人及び控訴審における弁護人猿渡脩藏各作成の控訴趣意書写し(書二四五丁以下及び書二四九丁以下、以下それぞれ「請求人控訴趣意書」及び「弁護人控訴趣意書」という。)並びに検察事務官作成の前科調書(書二二三丁)によれば、本件で問題とされている強姦致傷事件(以下「本件事件」という。)は昭和二九年八月一三日に発生し、熊本地方裁判所は、昭和三〇年一二月二三日、請求人に対し、強姦致傷罪の成立を認め、懲役三年、未決勾留日数中四〇〇日算入の有罪判決を言い渡したこと、請求人は、右判決に対し福岡高等裁判所に控訴したが、昭和三一年四月一三日右控訴は棄却され、同月一六日、請求人が上告権を放棄したため原判決が確定したこと、その後、請求人は、昭和三三年一月二六日まで服役して、刑期を満了したことが認められる。
2 これまでの再審請求の経過
(一) 熊本地方検察庁次席検事作成の「再審事件の決定書写しの送付について」と題する書面(甲山太郎に関する再審請求棄却決定書一二通及び抗告棄却決定書三通《いずれも写し》添付、書三八六丁以下)、検察事務官作成の「甲山太郎の再審請求について」と題する書面(書一四六丁以下)によれば、請求人は、右服役を終えて出所した後、これまで以下のとおり確定判決に対して再審の請求をしてきたことが認められる。
(1) 昭和三四年九月七日、熊本地方裁判所に対し再審の請求をしたが(同年(た)第一号)、同年一二月二四日、その請求は理由がないものとして棄却された。
(2) 昭和三七年七月一七日、同じく再審の請求をしたが(同年(た)第一号)、同年九月一九日、その請求は法令上の方式に違反するものとして棄却された。
(3) 同年一一月三日、同じく再審の請求をしたが(同年(た)第二号)、昭和三八年三月一八日、その請求は法令上の方式に違反し、かつその理由がないか、さきに棄却されたのと同一の理由によるものであるとして棄却された。
(4) 昭和三八年九月三〇日、同じく再審の請求をしたが(同年(た)第二号)、同年一一月二五日、その請求はさきになした再審請求と同一の理由によるか、その理由がないものであるとして棄却され、これに対する福岡高等裁判所への即時抗告(同年(く)第三五号)も期間徒過による不適法なものとして棄却された。
(5) 昭和三九年九月一三日、熊本地方裁判所に対し再審の請求をしたが(同年(た)第一号)、同年一〇月二四日、右請求は法令上の方式に違反し、かつその理由がないものであるとして棄却され、これに対する福岡高等裁判所への即時抗告(同年(く)第三六号)も期間徒過による不適法なものとして棄却された。
(6) 昭和四〇年九月一六日、熊本地方裁判所に対し再審の請求をしたが(同年(た)第一号)、同年一〇月一二日、右請求はさきに棄却されたのと同一の理由によるもの及び理由のないものであるとして棄却され、これに対する福岡高等裁判所への即時抗告(同年(く)第五五号)もその理由がないものとして棄却された。
(7) 昭和四一年一〇月一八日、熊本地方裁判所に対し再審の請求をしたが(同年(た)第二号)、昭和四二年四月二七日、右請求は法令上の方式に違反し、かつその理由がないか前に棄却されたのと同一の理由によるものであるとして棄却された。
(8) 昭和四二年一二月一一日、同じく再審の請求をしたが(同年(た)第二号)、昭和四三年二月八日、右請求がさきになした再審請求と同一理由による請求であるか、またはその理由がないものとして棄却された。
(9) 昭和四三年九月二日、同じく再審の請求をしたが(同年(た)第一号)、同年一〇月一日、右請求がさきになした再審請求と同一理由による請求であるか、またはその理由がないものとして棄却された。
(10) 昭和五一年六月一二日、同じく再審の請求をしたが(同年(た)第一号)、同年八月一六日、右請求が法令上の方式に違反するとして棄却された。
(11) 昭和五二年七月七日、同じく再審の請求をしたが(同年(た)第二号)、同年八月一六日、右請求が法令上の方式に違反するだけでなく、その理由もないとして棄却された。
(12) 昭和五三年一月六日、同じく再審の請求をしたが(同年(た)第一号)、昭和五四年一月二四日、右請求が法令上の方式に違反するとして棄却された。
(二) 右各再審請求において主張された再審事由は、その趣旨が明らかでないものも多いが、主なものは、
(1) 請求人は真犯人を目撃しており、それは請求人と同じ職場の丁川一(初?)という人物に似ていた
(2) A子及びB子の証言は信憑性に乏しい虚偽のものである
(3) 請求人が事件当時着用していた丸首シャツに草汁が附着していないのは不自然である
(4) 請求人は取調べの際捜査官から自白を強要された
(5) 確定判決の認定した犯行時刻は午後一一時ころであるが、請求人が現場を通行したのは午後一〇時三〇分前である
(6) 請求人は、右手中指、人指指及び薬指の三本はいずれも第一関節より切断していたので、被害者に原審認定のような爪痕が残るはずがない
(7) 請求人の取調べに当つたI巡査は、供述調書中で請求人の頭部前面の傷は、犯行の際被害者から受けた打撲傷であるといつているが、その傷は請求人が作業中に角材に打ち当つて負つた傷である
(8) 請求人が犯人ならば、被害者が犯行直後に逃げ込んだJ方前をそのころ通行するはずがない
等であり、証拠として、取調べを求める証人ということで関係者の氏名を多数並べて掲げているものであつた。
3 記録の廃棄
熊本地方検察庁検務第二課長作成の「完結記録の保存及び廃棄状況について」と題する書面(検察官提出の資料二、書一四八丁以下)によれば、確定判決の事件記録は、この事件が、昭和四五年一一月二四日付刑事(秘)第四二号法務省刑事局長通達「検務関係文書等保存事務暫定要領」実施前の完結事件であるため、大正八年六月二〇日付長崎控訴院検事長通達「長崎控訴院検事局管内民刑訴訟記録保存規程細則」第二条に基づき、丙号公判既済記録として、昭和三六年一二月三一日が保存期間の終期として保存されたうえ、昭和三七年九月一九日ころに廃棄されたものと認められる。従つて、僅かに、確定判決書、控訴審判決書及び控訴趣意書(二通、弁護人及び請求人各作成のもの)が保存されているにとどまつている。
四本件再審請求事件の特殊性
右事情のもとで本件再審請求の当否の判断に入るわけであるが、本件請求は刑訴法四三五条六号に基づくものであるところ、同号の「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解すべきであるが、右の明らかな証拠であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきであり、この判断に際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において、「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判における鉄則が適用されるものと解すべきであるけれども、これは特段の事情もないのにみだりに判決裁判所の心証に介入することを是とするものでもない(最高裁昭和四六年(し)第六七号、同五〇年五月二〇日第一小法廷決定・刑集二九巻五号一七七頁及び最高裁昭和四九年(し)第一一八号、同五一年一〇月一二日第一小法廷決定・刑集三〇巻九号一六七三頁各参照)。従つて、この判断にあたつては、先ず確定判決裁判所が、その審理過程において提出証拠の取捨選択をどのように行い、どのように心証を形成したかを明らかにし、その後、本件再審請求において現れた証拠を吟味したうえ、そのうちの新規性があると認められた証拠を加え確定判決裁判所の立場に立つてこれらを検討することが必要となる。ところで、確定判決裁判所が、その審理において取り調べた証拠の証明力をどのように評価しいかに心証を形成したかを判決書自体によつて知ることは、詳しい証拠説示がなされる旧刑訴法のもとにおける判決書においてさえその把握は困難であると考えられるところ(広島高等裁判所昭和五一年九月一八日決定、判例時報八二七号一八頁参照)、判決書に証拠の標目のみしか示されていない現行刑訴法のもとにおいてはなおさらである。従つて、「判決裁判所の心証」というのも結局再審請求事件を審理する裁判所が推測しうるに過ぎないものではあるが、できる限り確定判決の立場から、合理的に推測するためには、審理の過程を明らかにする当該事件記録の存在が前提とならざるをえない。ところが、本件においては前述のとおり、確定判決の事件記録は既に廃棄処分されているうえ、請求人を含む訴訟関係人の手許に訴訟記録ないし証拠の写し等が全く保存されていないから、確定判決の審理がどのように行われたか、またいかなる証拠に基づいて判断がなされたのか、更にいかなる証拠を排斥したのかを直截に知ることができない。このような場合、記録が無いことのみから「新規性、明白性」の判断が不可能であるとして再審請求の理由が無いとすることは、請求人の責に帰することのできない事由で請求人に不利益を課することになるから、再審が誤つて有罪の言渡しを受けた者を救済するための制度であることに徴し許されないというべきであるが、一方、法的安定性の見地からすれば「判決裁判所の心証」を無視して良いことにならないことも当然である。従つて、確定判決書のみならず、収集しうるできる限りの資料をもつて、事件記録の再現及び確定判決の心証形成過程の探究に努め、これを前提に判断するほかに道はないものと考える。ただ、この場合どうしても確定し得ない問題が生ずることになろうが、このような問題について、請求人に利益にも不利益にも推測されるときには、記録の廃棄が請求人の責に帰すべき事由によらないことからも、また前記再審制度の目的からも、請求人に不利益な事実を前提とすべきではないと考える。
五原記録の再現及び確定判決の心証形成過程の探究
1 確定判決の心証形成過程を推測する最も重要な資料として、先ず明確な形で残つているものとしては、確定判決書、控訴審判決書、請求人及び弁護人の各控訴趣意書が存在する。
(一) 確定判決理由中の「事実」の記載は以下のとおりである。
「被告人は小学校五年を終了して熊本市で約十七年間下男奉公をしていたが、昭和十六年頃戦時徴用工として約半年間大村航空廠で働き、その後六、七年間熊本市の製菓会社の雑役夫を勤めた後、昭和二十七年六月頃から肩書住居に所在する××製煉株式会社の瓦工として稼働し、その間昭和二十四年頃から甲川花子(当四十五年)と内縁関係を結んで同棲しているものであるところ、昭和二十九年八月十三日、被告人は当日は盆のため仕事が休みであつたので午前中私用で熊本市へ赴き、午後一時頃帰宅し、昼寝などし、夕食を済ませて、午後六時過頃から映画を観るため自宅を出て、午後七時頃隣町の熊本県下益城郡小川町大字小川所在の映画館「平和館」に入り、午後十時四十分頃同館を出て帰宅の途に就いたが、その途中同町字西小川所在の砂川北側堤防上の道路を西方に向け通行していた際、同町大字小川の共映映画劇場から共に帰宅途上の○○A子(昭和八年八月三日生)及び△△B子(昭和九年三月七日生)が該道路を被告人の後方から同じ方向に通る姿を認め、同女等のうち一名を強姦しようと企て、該道路上の同町字西小川墓地入口(砂川橋の西方約六百米の地点)に踞んで同女等を待ち伏せ、間もなく同日午後十一時過頃同女等が同所に達するや、いきなり同女等の前方に立ち上がつて言葉をかけたゝめ、同女等は危険を察知して直ちに前方へ走り出した。そこで被告人は同女等の後を追い、右墓地入口の西方約四十米の地点で逃げ後れた○○A子を捉えて抱きつき、「助けて」と悲鳴をあげる同女に「わめくと打つぞ」と申し向けて同女の後頭部を手拳で殴り、同女が隙を見て被告人の手を振り切つて逃げ出すや、更に数米追跡して同女を捕え、同女が「誰か来て」と叫ぶのを「わめくと打つぞ」と言いざま同女の右耳附近を手拳で強打した上押し飛ばして同女を同堤防南下の川原に転落せしめ、尚も起き上つて逃れようとする同女に前記墓地入口の西方約七十米の川原上で追い付き、「誰か来て」と繰返し助けを求める同女に重ねて「わめくと打つぞ」と威圧を加え、同女の後頭部を手拳で数回殴るとともに同女の背後からその肩を掴んで仰向けに引き倒して馬乗りとなり、必死にfile_3.jpgく同女を強力を以て押え付け、無理やり同女のズロースを押し下げるなどの暴行を加えて同女の抵抗を抑圧した上強いて同女を姦淫したが、その際右暴行により同女に対し、その右上膊内面に数条、前頸部に一条のいずれも爪痕状擦過傷、並びに両股間内面に各手掌大の擦過傷等治療約一週間を要する傷害を負わせたものである。」
(二) また、確定判決書に掲げられた「証拠」は以下のとおりである。
① 当裁判所の証人○○A子に対する尋問調書
② 証人○○A子の当公判廷における供述
③ 当裁判所の証人△△B子(B子のこと)に対する尋問調書
④ 当裁判所の証人Kに対する尋問調書
⑤ Lの司法警察員及び検察官に対する各供述調書
⑥ Mの司法巡査に対する供述調書
⑦ Nの検察官に対する供述調書
⑧ Oの検察官に対する供述調書
⑨ Pの検察官に対する供述調書
⑩ Qの検察官に対する供述調書
⑪ Hの検察官に対する供述調書
⑫ 被告人の司法警察員に対する昭和二九年八月一四日付及び同月一五日付各任意提出書
⑬ 司法警察員の昭和二九年八月一三日付、同月一四日付(二通)及び同月一五日付各領置調書
⑭ 当裁判所の検証調書
⑮ 司法警察員の実況見分調書
⑯ 司法警察員の強姦致傷現場写真記録
⑰ 医師Rの診断書
⑱ 第七回公判調書中、証人Rの供述記載部分
⑲ 松橋警察署長の鑑定嘱託書、熊本県警察本部長の昭和二九年八月一九日付「鑑定結果について」と題する書面及び警察技官Sの同日付鑑定書、(但しズロース並びに褌に各精液の附着を証明する旨の記載部分のみ)
⑳ 被告人の司法警察員並びに検察官に対する各弁解録取書
file_4.jpg被告人の司法警察員に対する昭和二九年八月一四日付(二通)及び検察官に対する各供述調書(但し司法警察員に対する供述調書中巡査部長T作成の供述調書及び検察官作成の供述調書中それぞれ判示犯行否認部分を除く。)
file_5.jpg領置に係る白簡単服(証第一号)、黒色ズロース(証第二号)、丸首シャツ(証第三号)、ステテコ(証第四号)、洋タオル(証第五号)、ゴム草履(証第六号)及び越中褌(証第七号)
(三) これに対する弁護人控訴趣意書の内容は以下のとおりである。
「原判決は事実誤認により破棄せらるべきである。その理由は以下のとおりである。
第一点
被告人は昭和二十九年八月十四日付司法警察員巡査部長Uに対する供述調書に於てのみ自白して居り其他は終始否認して来て居るのであるが、原審が事実認定をなすに際り(し?)同自白調書が有力な証拠となつたと思料せられる、ところが同自白調書の内容と第七回公判に於ける証人Rの証言を対比してみると同自白調書は必ずしも措信するに足るものではない、同自白調書によると被告人は所謂気が行つて射精したと供述して居るのにR証人は「精子は膣内では数時間すれば検出々来ない、証人が被害者を診断した時は三、四時間経つて居たと思つた、実は被害者の膣内には精液らしいものは認められなかつた、射精を貫通したという証拠は認められなかつたが性交の面からすれば膣内の状況からして認められる、少しの性交があつたと思う、精液は体位には関係なく拭いたり等した位ではなくならない、陰部の外側を拭いた形跡はなかつた」という趣旨を供述し同自白調書の供述内容と一致して居ない、同自白調書の通りであるとすればもう少し多量の精液が被害者の膣の内外に残つて居なければならない、殊に同証人は被害後最も早く被害者を診断した医師であるからその証言は充分信用することが出来ると考えられるので、此と異なる供述内容である同自白調書は措信出来ないと謂うべきである。
第二点
ズロースと褌に精液が付着して居ることによつて直に被害者と被告人とを結び付けることは出来ない、第一七回公判に於て証人Sは「褌とズロースも同様な方法で検査したが共に顕微鏡下に於て精虫の頭部と尾部を持つたものが認められた、新旧に付ては別段の差異は感じなかつた、尤も新鮮の度合に付てはどの位経つたか考慮を払はなかつたのであるが、精虫を認めることが出来た点よりしてあまり古いものではないかと考えられる、その点検出時に注意してみれば判る筈であるが考慮を払つていなかつた」という趣旨を供述して居り、又第五回公判に於て被告人の内縁の妻証人甲川花子は本件犯行の一日前である八月十二日に性交し褌を変えなかつた旨を供述しているので、褌の精虫が本件犯行の時のものか或は妻との性交の時のものか明かでない、褌とズロースの各精虫が果して同じ頃に付着したものかどうかその新鮮の度合を究めることは本件にとつて重要な事であつたのにその挙に出でずに不明確の儘であるのに、ズロースと褌に精虫の付着して居たことのみで被告人の犯行を認定する証拠とすることは出来ない。
第三点
本件記録に現はれた関係人の血液型を対比すると次の如く区々である。
熊本県警察部長の「鑑定の結果について」によると
一、ワンピースに付着せる血痕の血液型はB型
二、ズロースに精液の付着を証明しその血液型はA型
三、褌に精液の付着を証明しその血液型はA型
月山鑑定人の鑑定によると前記一はA型前記二はB型前記三は無とあつてその結果を異にし、又被告人及被害者の血液型はO型であつて、前記のズロースや褌に付いていた血液型と異なつて居る、色々の理由に因つて鑑定の結果が異なつたものとしてもその理由が明らかでない限り顕現された結果によつて判断しなくてはならないのであるが、右の如き各異なつた結果は被告人の犯行であると認定するための資料に供することは出来ない。
要するに以上の各証拠は本件事実を認定するに当り重要な証拠であるが此等は叙上の如く夫々証拠として不充分なものであるから採証の用に供することは不適当である、そして此等の証拠以外にも証拠はあるが所謂状況証拠であつて其等のみによつて本件事実を認定することは不可能と思料する。
殊に本件に於ては被害者も犯人の顔を知らず其他の目撃者も居らず且其他に被告人が本件の犯人であると断定するに足る丈の証拠は存在しない、本件の如き事件に於ては、捜査の当初逮捕直後被告人の陰茎を検査するときは擦過傷又は充血の有無等により被告人が本件の犯人であるかどうかの重要な証拠を得ることが出来たと思料せられるのに、捜査の不充分から右の様な検査がなされなかつた為終に確証を得ることが出来なかつたものである。
従つて原審援用の証拠によつては本件の犯人は被告人らしいという疑は生ずるが行為者であると断定し去る丈の証拠はないので証拠不充分の謗は免れることは出来ない、故に本件は証拠不充分に因り無罪と思料する。」
(四) また、請求人控訴趣意書は、その内容に一部趣旨の理解し難い部分もあるが、そこでは主として、請求人は逮捕された後警察署において「私が最大の責苦に合い精神的打撃を受け、刑事の感情を害してはどんな恐しい目に合わされるかと想い非常なる恐怖心にかられ」たために自白したこと、加害者と目されるものを目撃しており、それは自分と同様の服装をし、自転車に乗つた二人であつたこと、その加害者と目される男は熊本南警察署鑑識課に勤務するVに酷似していたこと、被害者の着物には多量の草汁が付いているのに、自分の着物、ステテコ、丸首シャツ等にはこれが付着していないこと等を主張しているものと解される。
(五) 控訴審判決中、右控訴の趣意に対して示した判断の記載は、以下のとおりである。
「しかし、原判決挙示の証拠を総合すれば被告人が判示日時場所において判示○○A子を強姦して判示傷害を与えたとの原判決認定通りの事実を認め得ないことはない。なる程血液型に関する鑑定人等の鑑定の結果が夫々一致しないことは所論の通りであるけれども、血液型の鑑定は被検物質の新旧度対象物質や他物質の混入等により異なる結果が現われることも往々生じ得ることであるから、血液型の鑑定の結果が一致しないことのみで前記認定を不可能とするものではないと謂わねばならない。又その余の所論は原審の適法になした証拠の取捨判断を批難するもので採用し得ない。
記録を調査して見ても所論被告人の司法警察員に対する昭和二十九年八月十四日附の供述調書中の自白の供述を以て措信し得ないものとすべき理由を発見し得ない。之を要するに原審の事実認定は相当であつて、その事実誤認を主張する論旨は理由がない。」
2 正式に保存された資料としては右に尽きるのであるが、当裁判所においては、事件記録の再現及び確定判決の心証形成過程の探究のため、請求人及び検察官が提出した各証拠を取り調べたほか、独自に事実の取調べをなした。その主な結果は次のとおりである。
(一) 現在生存している関係者のうち、本件再審請求後に作成された被害者A子、目撃者B子及びHの検察官に対する各供述調書を取り調べたほか、更に、以下の者について、その各申述を徴した。
請求人(三回、本件再審記録中当裁判所の調書群、《以下「調」で示す、別冊第一八冊中に編綴》の二一九の一丁以下、調二六八丁以下、調四九四丁以下)、A子(調五一丁以下)、B子(調八六丁以下)、確定判決裁判所の当時の裁判長裁判官W(調一九七丁以下)、同裁判官X(調二〇三丁以下)、同書記官Y(調一七丁以下)、請求人の内妻甲川花子(調二四〇丁以下)、請求人が当時働いていた株式会社××製煉所の職場の上司D(二回、調四三四丁以下、調五〇六丁以下)、当時同会社社長の息子のもとに嫁入りし現在同会社の社長であるZ(調四六四丁以下)
(二) 資料収集過程で判明した関係者のうち、以下の者については、当時の記憶その他について照会したが、記憶がないとの回答であつた。
確定判決裁判所の当時の裁判官a(書二七九丁)、当時の捜査担当検察官b(書二七七丁)、控訴審における弁護人猿渡脩藏(書三三三丁)並びに確定判決の証拠の標目中に挙示されているN(書三五六丁)、O(書三五七丁)及びQ(現姓○×、書三五八丁及び三六六丁以下)
(三) その他関係者のうち以下の者については、いずれも死亡を確認した。
原審弁護人野尻昌次(書三一二丁)、事件当時の捜査官で請求人を取り調べた巡査部長U(書三〇七丁)、同T(書三〇四丁)、同請求人を逮捕した巡査I(書三〇〇丁)、捜査段階において精液等の鑑定をした熊本県警察本部の警察技官S(書三〇九丁)、事件直後被害者A子を診断した医師R(書二八一丁)、B子が駆け込んだという駄菓子屋の店主J(書二九〇丁)、その娘L(書二八九丁)、確定判決書証拠に挙示されている証拠中に現れているK(書三一九丁)、P(戸籍上は×△、書三三五丁)、M(書三二三丁)
(四) 九州大学医学部に照会し、確定判決裁判所の審理当時に同裁判所が命じた鑑定について、鑑定人月山春夫作成にかかる鑑定書の写しの送付を受けた(書二五二丁以下、なお判決書の証拠の標目中には挙示されてない。)。なお、警察で行われたSによる鑑定については、熊本県警察本部刑事部科学捜査研究所に照会したところ、その写し等は現存しないとのことであつた(書三八一丁以下)。
(五) 本件犯行現場その他関係地点の状況を確認するための検証(昼間二回、調一三八丁以下、調一六七丁以下)を行つた。
(六) 検察庁から、本件事件について今までなされた再審請求に関する決定書写しの送付を受けた(書三八三丁以下)。
3 以上の証拠に基づいて、本件事件の概要をまとめてみることとする。
(一) まず、確定判決書(書二三九丁以下)、A子及びB子の各裁判官に対する申述調書(以下裁判官に対する申述調書を単に「申述調書」という、調五一丁及び八六丁以下)及び各検面調書(各二通、書一七三丁、一七九丁、一八三丁及び一八九丁以下)、昭和六〇年一〇月一五日付及び同月三〇日付各検証調書(以下それぞれ「第一回検証調書」「第二回検証調書」という、調一三八丁以下及び調一六七丁以下)によれば、本件事件のうちA子が被害に遭うまでの経緯は、概ね以下のようなものであつたと認められる。
いずれも当時熊本県下益城郡河江村新田出に住み、幼馴染みであつたA子とB子は、昭和二九年八月一三日夜午後一一時過ぎころ、同郡小川町の映画館「共映映画劇場」(別紙(六)参照《第一回検証調書添付第一見取図、調一四八丁に同じ》(ロ)点、以下記号のみ示す。)に映画を見に行つた帰りに、同町字西小川所在の砂川北側堤防上の道を西方に向け((ニ)点から(ホ)点方向)通行していた際、該道路上の同町字西小川墓地入口((ヘ)点、砂川橋の西方約六〇〇メートルの地点)において、五、六メートル先の道路右側脇にしやがんでいる男を見付け、その男の動静に気を付けながらそのそばを通り抜けようとしたところ、突然同人が立ち上がつたため、必死に逃げようと駆け出したが、足の遅いA子が捕まつてしまい、堤防の下に転げ落ちた後強姦されてしまつた。先に逃げたB子は、右堤防沿いの道を約八〇〇メートル西方に離れた所にあるJ商店((チ)点)へ駆け込んで助けを求め、同店の娘Lと共に右堤防を引き返してA子を捜したところ、襲われた現場とJ商店とのほぼ中間にある鹿児島本線の鉄橋((ト)点)附近で泣きながら歩いてくるA子を発見し、一緒にJ商店へ引き返した。
(二) 一方、請求人の行動については、確定判決及び請求人の昭和六〇年七月一一日付及び昭和六二年三月一一日付各申述調書(以下順次「第一回申述調書」及び「第二回申述調書」という、調一二丁以下、二八一丁以下)によると、
請求人は、昭和二九年八月一三日が盆の休みだつたので、朝から熊本市内に行つて昼ころ自宅に帰り、夕方五時か六時ころから小川町の映画館「平和館」にでかけ、その帰り前記砂川北側堤防上の道を通つて帰つたところ、その途中で前記J商店前付近に差しかかつた際犯人ではないかと疑われ、結局捕まつてしまつたと認められるのであるが、その間の事情については、請求人の供述とB子の供述に一部食い違いがある。請求人の前記各申述調書によれば、その要旨は、請求人が右J商店の前の道を歩いて通りかかつたところ、J商店の娘から呼び止められ、請求人が村の若い者の喧嘩の仲裁か何かを頼まれるのだろうと考えてその店に入り、出された氷でも食べていると、J商店の女主人Jから「どこからどこへ行くのか。」「いまさつきこの堤防である男から女子が強姦されたが、その犯人があんたによく似ている。」などと自分が強姦犯人であるかのようなことを言われたため、そんなことはないと問答しているうちに、B子が裏口から出て駐在所の警察官を呼んできて、その警察官と一緒に駐在所にいつて事情を聞かれる事となつた、というのである。ところが、右のうち、請求人がJ商店に来てからの状況の点は、B子の検面調書二(書一九四丁以下)及び申述調書(調一二一丁以下)によれば、その要旨は、J商店に駐在所から警察官がきて、A子を調べていたところ、右J商店の前の道を犯人とそつくりな服装と顔をした男が通つていたので、J商店の女主人かその娘に言つて呼び止めて貰つた、自分たちはその後駐在所へ連れていかれて話を聞かれた、というのであり、右J商店の前を請求人が通りかかつたのと警察官がきたのとどちらが先であるか等について請求人の供述と食い違いがある。しかし、いずれにしても、J商店の前を通りかかつた請求人をB子が犯人と認めたことから、請求人が本件の犯人として警察官の取調べを受けるようになつたことは間違いないと考えられる。
(三) その後の状況については、請求人の供述にしか依るべきものがないが、請求人の右各申述調書(調三丁以下、二八五丁ないし二八七丁、三一四丁以下)によれば、請求人は、駐在所に被害者の女性と共に連れて行かれ、そこで二〇分か二五分話を聞かれた後、更に所轄警察署である松橋署に連れていかれて取調べを受けそこで自白をしたところ、翌日からは否認し続けたにもかかわらず勾留が継続されたまま昭和二九年九月四日公訴が提起され(裁判所書記官作成の昭和六三年二月一七日付報告書《書四三三丁》による。)、一年三か月余にわたり多数回の審理を経て有罪判決が下されたものと認められる(審理回数については弁護人控訴趣意書の中に「第十七回公判に於て」との記載があるが(書二四六丁裏)、Y及びXの各申述調書(調二三丁裏、二二二丁)に照らし信用できない。)。
4 次に、確定判決裁判所の審理段階において取り調べられた各証拠が、いかなる内容のものであつたのか、確定判決挙示の各証拠(書二四〇丁裏以下)を中心に、当裁判所においてなした事実調べの結果及び検察官提出の各資料によつて、できる限り推認してみることとする。
(一)(1) 請求人自身の関係でみると、同人の捜査官に対する各供述調書(前記五1(二)における番号file_6.jpg、以下数字のみ示す。)及び各弁解録取書(⑳)が証拠として掲げられている。控訴審判決書(書二四四丁)及び弁護人控訴趣意書(書二四五丁裏)によれば、被告人の司法警察員Uに対する昭和二九年八月一四日付供述調書はいわゆる自白調書であり、「気が行つて射精した」旨の記載があつたが、右供述調書及び司法警察員並びに検察官に対する各弁解録取書以外は捜査官に対する各供述調書及び公判廷における供述のいずれにおいても本件犯行を否認しているものと認められる(なお確定判決の証拠の標目中に被告人の公判供述は挙示されていない)。そのうち具体性を有する唯一の自白調書と見られる請求人の司法警察員に対する昭和二九年八月一四日付供述調書の内容につき、請求人は、第一回申述調書(調四丁以下)において、
「昭和二九年の八月一三日は、盆のために仕事休みだつたので、私は午前中、私用で熊本市に行き、午後一時ころ帰宅し、昼食を取り、疲れたので五時ころまで昼寝をしました。五時過ぎくらいに家を出て、歩いて三〇分くらいのところにある小川の映画館「平和館」に行き、五時半ころ、その映画館にはいりました。当時、映画は四本立てでしたが、三本見終わり、九時四〇分ころに映画館の西方一〇軒ほど先のところのかき氷屋でかき氷を食べ、九時五〇分ころにかき氷屋を出ました。帰り道は夕涼みがてら堤防のほうに歩いていたところ、後ろから若い女の子二人が歩いて来て、いい格好をしているし、男の気持ちをそそるような娘だつたのでそこで強姦しようと思い、堤防の脇の草むらの中にしやがんで待ち伏せをしていたところ、二人が通りかかつたので、まずB子に向かつて行つたけれども、B子が腕を振りきつて逃げたので、次にA子を後ろから抱きしめ、逃げようとしたので、げんこつで顔を殴つたりしてすつたもんだしているうちに、川原に転げ落ち、そこでA子を押さえつけてロングスカートをまくつてズロースを引きずり下ろし、私もステテコを膝あたりまで下ろして、A子の股を開き、私の性器をA子に挿入し、強姦しました。」という内容であり、そのとき射精したかどうかについては尋ねられなかつたと思うと供述しているところ、前述のとおり、この調書において請求人は「気がいつて射精した。」旨述べていると考えられるから、この射精の点については右請求人の供述を採用することができないが、その他の点については、特にこれに反する資料はなく、前記確定判決の「(事実)」の摘示とも概ね合致するものである。
その他の、請求人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書及び各弁解録取書(⑳)は、犯行前後の状況については兎も角、その核心部分についてはすべて否認調書であるか、その内容が自白であるものであつても具体性を欠くものと考えられ、昭和三四年一二月二四日付再審請求棄却決定書写し(書三八七丁裏以下)によれば、確定判決裁判所において取り調べたが、確定判決の証拠の標目中に挙示されなかつたと考えられる昭和二九年八月一五日付司法警察員に対する供述調書中に、請求人が右犯行現場附近において出会つた白の丸首シャツ様のものを着用し黒いズボン様のものをはいた二人の自転車に乗った男たちが犯人であろうという旨の記載があること、同月一九日付検察官に対する供述調書(右調書が確定判決挙示にかかるものであるかどうか判然としない。)中に、請求人が同じく犯行現場附近で丸首シャツを着黒いものをはいた男を見たとする旨の記載があることが窺われる。その他の部分の内容については不明であるが、確定判決がその一部を証拠として掲げており、かつ、請求人自身現在でも犯行以外の前後の事情はほぼ確定判決の事実摘示どおり供述していることからすると、これら調書は、請求人の経歴等と犯行にいたる経緯並びに前記のような請求人の弁解(真犯人の目撃)が記載されているものと推定される。
また、司法警察員作成の実況見分調書(⑮)について検討すると、請求人の第一回及び第二回申述調書(調七丁以下、三三〇丁以下)並びに甲川花子(調二五五丁以下)及びD(昭和六二年九月一四日付、調四三九丁裏以下)の各申述調書によれば、請求人が本件犯行を一旦自白した翌朝である昭和二九年八月一四日の朝に、事件現場で司法警察員らの実況見分が行われたことはこれを認めることができるが、そのときの請求人の指示説明について、請求人は、第一回申述調書において、そのときは警察官の指示する通りに「はい。」「はい。」と言ったと述べ、第二回申述調書において、「自分はやつていない。」と明確に否認はしなかつたが、認めたわけではないと述べているので請求人がどのような指示説明をしたのか明らかではない。しかしながら、請求人は、第二回申述調書において、警察官が勝手に実況見分したとも述べているから、実際に請求人が指示説明をしたか否かはともかく、結局、同実況見分調書は、昭和二九年八月一四日に請求人立会いの上で行われた実況見分の調書であつて、その内容も請求人が犯行を認めて指示説明した形になつているものと推定される(但し確定判決摘示事実に詳細に記載された犯行場所の位置関係等が請求人の指示によるものか、被害者A子の指示によるものかは、明らかではない。)。更に通常の捜査過程から考えると、司法警察員作成の強姦致傷現場写真記録(⑯)もこれと同時に作成されているものと推定される。
(2) 被害者たるA子の関係でみると、同女は公判期日外の裁判所の尋問を受け(①)、更に公判廷で証人ともなつている(②)が、同女の検面調書一、二(書一七六丁、一八一丁)及び申述調書(調五五丁、七八丁)によれば、同女は当時の供述内容について全く記憶が無いと述べている。しかし、先ず一般的に考えれば、犯行に至るまでの状況等については当然確定判決の認定事実に沿う供述をしているものと推測される。次に、犯人の特定についても、通常作成されている筈の同女の検察官に対する供述調書が証拠として掲げられていないのは、同女の右供述が、いずれにしても公判供述の域を出るものではなかつたからと推定されるところ、後述のB子の場合と異なり、A子について確定判決裁判所による取調べが二回なされているのは注目に値いすることであり、同女が被害の点についてはかばかしい供述をしなかつたからではないかと推察されるのであるが、A子は検面調書二において「私は裁判になつてからもその男(請求人)が犯人だと思つておりました。」と述べていること(書一八二丁)、確定判決裁判所の裁判長Wもその申述調書(調一九九丁)において「被告人にやられたと、はつきり云つたという印象そのものはありませんが、事件の内容、合議による判決、他に覆すものがなかつたことからおそらく(A子が)被告人にやられたとはつきり云つたのではないかと思います。」と述べていること等からすると、当時A子は請求人が犯人である旨の指摘をしていたと考えられないでもない。しかしながら、後述のとおりB子が現在においても犯人目撃状況を詳細に記憶して述べることができるにもかかわらず、A子は、右検面調書二において、男に襲われたということは忘れないが、詳しいことは全くといつていいほど忘れている旨述べ、申述調書においても、強姦されるときには犯人から顔を背けており、後に警察官から請求人が犯人だと言われたために請求人が犯人だと思うようになつた旨述べ(調八二丁以下)、右B子の供述に基づいてなした裁判官の質問に対して殆ど「覚えていない。」「分からない。」旨の答えを繰り返すにとどまつていることに鑑みると、確定判決当時において、A子の供述が、請求人を犯人と指摘するものであつたとしても、姦淫されるとき間近に顔を見たというようなものではなく、非常に曖昧なものであつたと推測するのが妥当ではなかろうかと考えられる。なお、弁護人控訴趣意書(書二四八丁)によると、「殊に本件に於ては、被害者も犯人の顔を知らず、その他の目撃者も居らず」と記載されているところ、後記のとおり、B子は犯行直前の目撃者であつて、請求人が犯人である旨現在においても確信していると供述しているところからすれば、「被害者も犯人の顔を知らず」という右控訴趣意書の記載をそのまま信用してよいか若干疑問を生ずるが、右控訴趣意書の記載は、犯行状況そのものについての目撃者がいない趣旨にも善解しえないではなく、右のA子の供述は、B子の供述と格段に差異のある内容であるから、右のように善解することは可能であると思われる。
(3) 次にB子の関係でみると、同女は公判期日外の裁判所の尋問を受けている(③)が、同女の検面調書一、二(書一八三丁以下)及び申述調書(調八六丁以下)によれば、同女は、現在でも前記の本件事件の概要に沿つた記憶を有しており、特に、J商店前で見かけた男即ち請求人が、同女らを襲つた犯人に間違いがないということについて今でも確信をもつている(書一八六丁裏、一九六丁裏)ことからすると、被害に遭う前後の状況についての証言はもとより、犯人の顔つきや、丸首シャツ、ステテコ、洋タオル及びゴム草履といつた服装からみて請求人が犯人であることに間違いない旨の確信を持つた旨の明確な証言をしていたものと推定される。
(4) その他の④ないし⑪の供述証拠についてみると、LはJ商店の娘であるから、B子が請求人を犯人と認めて呼び止め、警察官に引き渡すまでの状況を述べているものと推定されるが、これは、B子の供述以上に請求人を犯人として特定しうるものとは考えられず、その他のK、M、N、O、P、Q及びHらについては、本件とどのように関わつた人物であるかその関係自体明らかでないけれども、Hの検察官に対する供述調書(書二三四丁以下)及びQ(旧性××)の当裁判所に対する照会回答書(書三六八丁以下)によれば、本件犯行当時、砂川橋堤防のJ商店と反対側の砂川橋(別紙(六)の(ニ)点)附近にあつた「c」という雑貨屋兼ガソリンスタンドの店で夕涼みその他をしていた人々ではないかと推定され、その供述としては当時砂川堤防附近で見かけた人物について等ではなかつたかと思われるが、結局請求人を犯人と結び付けるような供述ではないと考えられる。ただ、Kのみ何故証人として調べられているのか、同人は何か重要な供述をしていたため、弁護人が検察官提出の書証を不同意にしたのではないかという疑問は残るが、弁護人控訴趣意書及び控訴審判決書等によつても、これを窺うことができず、却つて弁護人控訴趣意書によると、これが請求人と罪体を結び付ける主要な直接証拠などではなかつたことを窺うことができる。
(5) 医師Rの診断書(⑰)及び同人の第七回公判調書中の供述部分(⑱)は、確定判決の摘示事実(書二四〇丁裏)及び弁護人控訴趣意書(書二四六丁)を総合すると、後者(⑱)に「精子は膣内では数時間すれば検出できない。証人(R)が被害者を診断したときは三、四時間経つていたと思つた、実は被害者の膣内には精液らしいものは認められなかつた、射精を貫通したという証拠は認められなかつたが性交の面からすれば膣内の状況からして認められる、少しの性交があつたと思う、精液は体位には関係なく拭いたり等した位ではなくならない、陰部の外側を拭いた形跡はなかつた。」旨の記載があることが窺われるほか、A子が姦淫された事実が認め、かつ、右上膊内面に数条、前頸部に一条のいずれも爪痕状擦過傷、並びに両股間内面に各手掌大の擦過傷等治療約一週間を要する傷害を認める内容のものと推定される。
(6) 松橋警察署長の鑑定嘱託書、熊本県警察本部長の昭和二九年八月一九日付「鑑定結果について」と題する書面及び警察技官Sの同日付鑑定書(⑲、以下これを「S鑑定」という。)については、S鑑定の内容のみが実質的なものであり、弁護人控訴趣意書(書二四七丁裏)によれば、そこに「ズロース並びに褌に各精液の附着を証明する」旨の記載及び「一 ワンピースに附着せる血痕の血液型はB型、二 ズロースに精液の附着を証明しその血液型はA型、三 褌に精液の附着を証明しその血液型はA型」との記載があつたことが窺われ、確定判決は、その中のズロース並びに褌に各精液の附着を証明する旨の記載部分に限りこれを証拠として掲げていたものと考えられる。
(7) 領置にかかる各証拠物(file_7.jpg)についてみると、黒色ズロース及び越中褌は、右S鑑定において精液の附着が認められた関係で掲げられたもの、白簡単服は、後記月山鑑定により草汁等の附着が認められているから(肉眼でも判別可能と推定される。)、A子が本件被害に遭つた事実の証拠として掲げられたもの、その他の、丸首シャツ、ステテコ、洋タオル及びゴム草履は、顔や服装で犯人を特定したB子の証言との関係で掲げられたものと推定される。
なお、丸首シャツ、ステテコ等被告人が犯行当夜着用していた衣服に草汁や赤土等が附着していれば、請求人を犯人と結び付ける有力な証拠となりうるが、請求人は、現在、第二回及び第三回申述調書において草汁等の附着はなかつたと主張しているだけではなく(調三二四丁以下、五〇三丁裏以下)、かねてから控訴趣意書やこれまでの再審請求においても同様の主張をしていると認められるのであつて(書二五〇丁裏、三九二丁、三九五丁裏)、当時証拠物を見れば直ちに真実が分かるような点について敢えて虚偽の主張をするものとは思われず、控訴審判決もこの点事実に反するというような指摘はしていないから、右丸首シャツ等に草汁等の附着はなかつたものと推定される。
(二) 更に、確定判決に証拠として掲げられてはいないが、確定判決裁判所の審理において鑑定がなされている。昭和三〇年六月九日に鑑定を命じられ、同日以降検査を行つたとして提出された九州大学医学部教授月山春夫作成の鑑定書(以下「月山鑑定」という。)の鑑定主文は、
「一 白簡単服には血痕が附着して居り、血痕附着量が極めて微量のために断定は致し兼ねるが、恐らく人血痕であろうと推測される。而してその血液型はA型ではなかろうかと判断される。尚、本鑑定以前に既に切り取られている部分があるがその部分については検査不能であつて本鑑定と矛盾する場合があるかも知れないが今更如何ともすることが出来ない。
二 黒色ズロースには人精液が附着しているものと判断される。その血液型はB型らしく判定される。尚、本鑑定以前に既に切り取られている部分があるがその部分に人精液が附着して居たものか居ないのか又附着していたと仮定して将してその血液型がどうであったか今更之を知る由は無い。
三 本鑑定人に交付された越中褌には精液の附着を証明出来なかつた。
但し、本鑑定人以前に既に切り取られている部分があり、その部分に精液が附着していたものかどうかは今更之を如何ともする事が出来ない。従つて、仮に本鑑定以前にこの越中褌について鑑定した事があつたと仮定しても私のこの鑑定は先の鑑定結果を何等拘束する性質のものではない。」
というものであるが、それぞれ「白簡単服の検査」「黒色ズロースの検査」「越中褌の検査」として、各検査の過程が詳述してあり、別紙(一)ないし(五)の図面が添付されている。
なお、右鑑定人月山春夫は、昭和四六年九月一三日、既に死亡している(書二五三丁)。
また、右以外にも、確定判決において適法に取調べをしたが判決に挙示していない証拠は存在すると思われるが、右以外にはその証拠価値の点において確定判決が挙示する各証拠を越えるものがあるとは考えられない。
5(一) 以上の資料をもとに確定判決裁判所の心証形成過程を推測してみると、当時の審理段階においてもいくつかの疑問は当然生じていたものと思われる。すなわち、請求人が真犯人であるとすれば、本件犯行後、B子又はA子といつた被害者らが逃げて行つたのと同方向には進行しないのが通常と思われ、また他に脇道がない訳ではないのに、何故わざわざ同じ方向に歩いて行つたのか、また、J商店前で呼び止められたとき、ためらうこともなく素直にこれにしたがつたのは何故かといつた疑問、請求人及び被害者の血液型がいずれもO型(大阪医科大学教授松本秀雄作成の鑑定書及び熊本県警察本部刑事部科学捜査研究所技術吏員作成の鑑定書、書三七六丁以下及び書二一八丁以下による。なお、弁護人控訴趣意書によれば確定判決当時から同人らの血液型が判明していたことは明らかである。)であるのに、前記S鑑定によればズロース及び褌についていた精液の血液型がA型であるという疑問(この点については、確定判決裁判所の審理段階において更に月山鑑定がなされたこと、証拠摘示においてS鑑定の血液型判定部分が除外されていることからも、確定判決裁判所が問題点として認識していたことが窺える。)、被害者の白簡単服には赤土や草の汁らしいものが附着しているのに、請求人の丸首シャツやステテコ等にその附着が認められないことへの疑問など、請求人を直ちに有罪と認定するのには障害になり得るような数々の疑問点が存在する。
(二) 右のような疑問が生じうるにもかかわらず、確定判決裁判所が有罪の認定に達したということは、まず、B子が断定的に請求人を犯人だと指摘したこと、A子も非常に曖昧ではあるが請求人が犯人である趣旨の供述をしたこと、請求人が犯行に接着した時刻に犯行現場付近を通行していたこと、請求人自身逮捕された当日のうちに自白し、また、翌日司法警察員による弁解録取及び二、三日後の勾留請求に先立つ検察官による弁解録取に際しても、本件犯行を概括的に認めていると推認されること(確定判決裁判所の心証を現わすものではないが、控訴審判決中の「被告人の司法警察員に対する昭和二十九年八月十四日附の供述調書中の自白の供述を以て措信し得ないものとすべき理由を発見し得ない。」という記載(書二四四丁)からもこの自白の重要性が窺われる。)によるものではないかと思われる。
右以外に請求人を犯行と結び付ける証拠としては、S鑑定書のズロース及び褌の精液附着を証明する部分が存在する(確定判決が証拠として「ズロース並びに褌に各精液の附着を証明する旨の記載部分のみ」と摘示している以上、右精液はいずれも本件犯行時に附着したものと認定しているはずである。)が、右で述べたようにこの鑑定から直ちに右各精液が請求人のものであると認定することには疑問があるのであつて、確定判決裁判所が、本証拠をもつて請求人有罪の積極的証拠と評価したのか、他の証拠によつて請求人を有罪と認定した以上、右精液は請求人の犯行時のものだと考えて証拠に掲げたのか必ずしも明らかでない。しかし、確定判決が「各精液の附着を証明する旨の記載部分のみ」を採証したのは、S鑑定が、右各血液型を「O型」ではなく「A型」と判定したため、この部分をも採証するときは、請求人の血液型が「O型」であつて「A型」ではないのに、請求人の精液の血液型を「A型」と認めることとなつて、矛盾を生ずるためであることは明らかであるが、ズロースと褌に附着したそれぞれの精液を請求人のものであると認定することは、取りも直さずこの両精液の血液型が同一であつて、請求人の血液型と一致することを前提とするものといわざるを得ない。従つて、確定判決裁判所は、前記のように「各精液の附着を証明する旨の記載部分のみ」として一応証明の対象を各精液附着事実に限定しているかに見えるが、その実、S鑑定の右各精液の血液型がいずれも「A型」である旨の判定を措信できないものとして排除すると同時に、右各血液型が請求人の血液型と一致する「O型」であることを、暗に認定しているものといわざるをえない。確定判決がどうしてこのような結論に達したかについて推論してみると、(1)前記請求人の自白及びこれを補強するに足りる前記B子の証言等があれば、請求人がA子を姦淫し射精した事実は優に認定しうるから、右各精液が請求人のものであることは間違いがない。(2)そして、右精液中、請求人の褌に附着したものが請求人自身のものであることは、請求人自身これを認め、また客観的に見て右精液が請求人の褌の中央部に附着していることからもこれを肯認することができるところ、この血液型が「O型」でなく「A型」と判定されたのは、鑑定の誤りか又は資料である精液の変質、異物の混入等によるものであろうから、同様の理由によりズロースに附着した精液(前面左腰やや中央寄りのもの)も、「O型」であるべきものが「A型」と判定されたのではないか、との理由によるものではないかと考えられる。
そして、他に請求人を犯人と特定するに足りる証拠が前記証拠の中に認められない(弁護人控訴趣意書、書二四八丁)ところからすると、確定判決裁判所にとつては、右被害者らの供述及び信用性があると認めた請求人の自白が主要な証拠であつて、精液附着の点は寧ろ右証拠により逆に補強される程度のものであつたのではなかろうかと推察されるのである。
(三) なお、この確定判決に対する控訴審においては、弁護人及び請求人からそれぞれ控訴趣意書が提出され、そこでは血液型等精液附着の鑑定に対する疑問、草汁の附着がないことについての疑問、真犯人目撃の主張等がなされたわけであるが、控訴審判決の理由は前記五1(五)のとおりであり、「原判決挙示の証拠を綜合すれば被告人が判示日時場所において判示○○A子を強姦して判示傷害を与えたとの原判決認定通りの事実を認め得ないことはない。」という消極的な論調であり、しかも、右の各控訴趣意書で指摘された疑問に対してはほとんど実質的に答えていない。
そこで以下においては、確定判決の心証が、右(二)でみたように、B子及びA子の各供述と請求人の自白及び精液附着の鑑定によつて基礎付けられていることを前提にして検討してゆくこととする。
六本件再審請求の当否の判断
1 B子及びA子の証言
(一) 先ず、請求人の弁護人ら(以下「弁護人ら」という)は、B子及びA子の証言が信用できない事実を証明する証拠として右両名を証人として掲げ、現在では、A子自身が、請求人に対し、「犯人があなただと言つたのはB子であり、私はあんな時に犯人が誰か顔も見ていない。B子が警察の人に言つただけだ。私はB子が言つたからそうかなと思つただけ。」と供述し、B子も同じく「甲山さんだとははつきり分からない。甲山さんと違つたかも知れない。」と供述している旨主張する。しかしながら、B子及びA子の各検面調書によれば、右両名はそのような供述はしていないものと認められる(書一七三丁以下、同一八三丁以下)から、右は新規性を有する証拠とは言い難い。
(二) 本件犯行現場における当日午後一〇時ころの明るさについて
(1) 次に、弁護人らは、同じく前記両名の証言の信用性を争う証拠として、当時の目撃状況において犯人を識別できるかとの観点から、本件犯行現場における午後一〇時ころの明るさについての検証を申し立て、熊本地方気象台作成の証明書写し(甲第二五号証、書六七丁)、大阪信用興信所作成の「熊本出張調査追報」と題する信用調査報告書写し(甲第三七号証、書八三丁以下)、E撮影の写真一三葉(検甲第一ないし第一三号証)及び添付見取図(書一〇〇丁以下)、京都府立医科大学講師伊藤直作成の鑑定書(甲第四〇号証、書一一三丁ないし一二九丁以下)を証拠として提出している。
確定判決挙示の証拠の記載並びにW、X及びYの各申述調書(調二〇〇丁、二一一丁、二四丁以下)を総合すると、確定判決裁判所の審理当時は、昼間の検証こそなされているものの、夜間検証は行われていないと認められるから(証拠調べ請求はあつたが却下されたという可能性がないではないとはいえ、右各証拠によればこれもなかつたものと推測される。)これは証拠方法として新規なものと言いうるばかりではなく、確定判決当時自明なこととして肯定されていたと思われる、満月の夜における識別可能性を否定する証拠資料を獲得するための証拠であるから、この観点からみても、新規なものということができる。検察官は場合を二分し、証言の内容の正確性の問題は自由心証の問題であつて新規性がないと主張するが、視認不能と識別不能の間に特に区別を認める根拠に乏しく、証言の信用性に関する事実は補助事実であるが、再審に際しこれが要証事実となりえないなどということはなく、確定判決裁判所の審理において、この観点からB子の証言の信用性が争われたものとは認め難いから、右主張は失当である。
(2) そこで、先ず弁護人提出の証拠を検討すると、京都府立医科大学講師伊藤直作成の鑑定書(甲第四〇号証、書一一三丁ないし一二九丁)によば、「乙野A子、丙野B子が前記調書(注、右両名の検察官に対する各供述調書)に述べるがごとき状況において、真実犯人を識別しえたと考えられるか否か(特にB子において)」という鑑定事項に対し「識別できなかつたと考える」との鑑定結果が、「もし、犯行現場において犯人を識別しうるとしたら、どのような条件において可能なのだろうか。」という鑑定事項に対し「特徴を覚え込もうという認識のもとで、約一二〇センチメートル以内の距離で約四〜五秒以上注視した場合に可能であると推定される。」との鑑定結果が示されている。しかしながら、右鑑定は、現場における実験と屋内における実験とを総合して判断したものと思われるものの、そのいずれの実験においても、本件犯行時の目撃状況とは異なつた条件下における実験であり、直ちに右鑑定結果を採用することはできない。すなわち、右証拠のうち現場における実験は、同鑑定書によればいわゆる満月で二一時において天気曇り、雲量一〇、視程六キロメートルの条件で行われたものと認められるが、本件犯行時の気象状況は、昭和五八年四月五日付熊本地方気象台長作成の回答書(検察官提出資料七、書二〇二丁)によれば、犯行地点直近上空の気象ではないが、当日の月齢は14.2で、二一時には快晴、雲量二、視程三〇キロメートル、二四時には晴、雲量三、視程三〇キロメートルであつたというのであり、雲量及び視程において右実験が本件犯行時よりも悪条件のもとで行われていることが明らかである。また、屋内実験については、平凡社発行世界大百科事典の記載をもとに照度を0.23ルックスに設定して実験を行つているが、検察官作成の昭和六〇年八月一〇日付意見書添付の別紙一(検察官作成の事情聴取結果報告書写し、本冊一の本文六二丁以下)によれば、右照度は純粋な月光の照度を計測した値であつて、周囲の物体の反射光などが加わつている実際の明るさとは異なるから、同実験は本件犯行時よりもより暗い条件下で行われているものと認められる。従つて、右鑑定書の鑑定結果からB子及びA子の犯人識別供述が信用できないものであると言うことはできない。
(3) しかしながら、当裁判所としては、弁護人ら提出の右証拠のみによつては、結局B子及びA子の供述の信用性を判断できないので、弁護人の主張する夜間検証を実施した。その前提として本件犯行の状況を把握する必要があるが、まず、B子は、その犯人目撃状況について、検面調書二(書一九〇丁裏以下)において、「当日は満月で月の明かりで人の顔や服装等が良く分かる状態でした。私とA子さんの二人は横に並んでその堤防を西のほうに向かつて歩いていましたが、そのうち道路の右脇の所に一人の男がしやがんでいるのが分かりました。その男に気がついたのは男に五〜六メートル位まで近づいた時だつたように記憶しておりますが、はつきりした事は覚えていません。私とA子さんの二人はその日見た映画の事等を話しながら歩いていたのでそれまで男に気がつかなかつたように思います。男の姿を見かけましたので私はそれまで私の右手にいたA子さんと変わり、私がA子さんの右手に行きました。私は子供のころから足が早かつたので何かあつた時A子さんを連れて逃げられるだろうと思いそのようにしたのです。そしてA子さんと手をつないでその男の横を通り抜けようとしました。(中略)私とA子さんの二人がその男の一間位横を通りかかつた時、男が急に立ち上がつて私の腕をつかもうとしましたので私とA子さんの二人はそのまま走つて逃げようとしました。しかしA子さんがその男に捕まつてしまつたのか、私とA子さんの手が放れてしまいました。それで私は誰か人を呼んでこなければと思い、走つて先程話した踏切りの先の方にあるJさんという雑貨屋に行つたのです。尚、男の体はしやがんでいる時、砂川の方を向いており、顔はややその男にとつて左手の私達の方を見ておりました。それで私達は正確にはその男の前を通り抜けるような状態だつたのです。」と述べており、申述調書(調一〇二丁以下)においても、月が自分達の背後から照つていたこと、しやがんでいる男の身体は河原のほうを向いており、顔だけが自分達の来る方を向いていたこと、その男を見つけてA子と左右の位置を入れ替わつたとき、走つて逃げ易いように靴を脱いで急ぎ足で歩いたこと、その男の五〜六メートル手前から男の前を通るまでの間、ずつとその男の顔を見ていたこと、男の横まで来たとき男と自分の距離はせいぜい一メートルであつたこと等を詳しく付け加えたほか、右検面調書二における供述とほぼ同様の答えをしている。
これに対しA子は、現在事件のことについてほとんど記憶がなく、検面調書一、二及び申述調書のいずれにおいても、前記五4(一)(2)に掲げたことのほか、参考になる供述をしていない。
(4) 当裁判所の検証
(イ) 前記第一、二回検証調書(調一三八丁及び同一六七丁以下、いずれも昼間の検証)によれば、本件犯行現場とされる熊本県下益城郡大字西小川地内をほぼ東西に貫流する砂川の右岸堤防一帯の地形は、右検証時(昭和六〇年八月二三日及び同月三〇日)において、犯行時である昭和二九年八月当時と比較し、堤防の高さが約三分の一嵩上げされたこと、堤防がコンクリートで護岸されたこと、流水帯が広くなり反面河原が狭まつたこと、右岸堤防上の幅員約2.45メートルの道路は当時は泥道であつたが工事の際川砂を上げ土質を改めたこと、右道路の北側には犯行時道路脇に竹藪、樹木ながあつたが、これらは伐採され草むらとなつていること等の外は特段大きく変化したところがなく、照明設備等は右岸、左岸ともに当時と同様全く設けられていないことが認められた。その際の請求人、B子ら指示説明及びA子の検面調書二(書一八〇丁)によると、男が待伏せをしていた地点は、国道三号線上の砂川橋北角から砂川右岸堤防道路を約五二〇メートル西進した地点(別紙(六)の(ホ)点、同所道路北側斜面の下は墓地となつている)及びこれから更に五〇メートル西進した北側低地に通じる坂道の入口(同図面(ヘ)点)付近一帯の道路北側の路肩辺りではないかと推定された。そこで、右(ヘ)点を選びこれを被害者らの目撃した犯人の待伏せ地点とし、以下の検証を実施した。
(ロ) 夜間検証
① 当裁判所は、B子の供述のほか、本件審理において明らかになつた犯人目撃状況も加味したうえ、目撃者が一定の月明かりのもとで歩行しつつ、一定の距離で特定の場所にしやがんでいる人物(犯人)を数秒間凝視した後、約一〇分位(前記五3の(一)、(二)、(三)の状況からB子が犯人を目撃した後再び犯人らしい男とJ商店前で出会うまで、概ねこの位の時間が経過したと推定した。)を経過して、場所を異にし、その視認した人物を明確に特定できるか否かを明らかにするために夜間検証を行つた。できるだけ本件犯行時の状況に近づけるため、本件犯行現場において、満月であつて月を遮るような雲が全くない日の午後一〇時三〇分ころから翌日午前〇時過ぎころまでの間に実施したが、昭和六〇年八月三〇日(第三回検証)には雲が多く、時折月が雲から出る程度であつたので、参考になる資料は得られず、同年九月二九日(第四回検証)、昭和六一年七月二一日(第五回検証)に夜間検証を実施した。
② 右夜間検証のうち、第四回検証の具体的実施方法は、
(a) 体形の似た者五名で仮想犯人グループ(所轄松橋警察署の警察官を起用)を構成し、一方、右の者と面識のない七名(視力1.0以上裁判官三名、裁判所職員四名)で仮想目撃者グループを構成する。
(b) 仮想犯人グループの者は総て白の半袖丸首シャツ、ステテコを着用し、運動靴を履いて、首に一本タオルを掛けた状態とし、その中の一名(仮想目撃者グループ一組ごとに任意に交替する、同一目撃者が同一犯人を二度見ることは、しない)が本件の犯人がしやがんでいたと推定される別紙(六)の前記(ヘ)点にしやがんで待機する。
(c) 仮想目撃者グループは原則として二人一組とし、本件被害者らが犯人に気づいたとされる地点、すなわち仮想犯人がしやがでいるところから約六メートル離れた地点で仮想犯人に背を向けた状態で待機し、合図により順次回れ右をしたうえ仮想犯人の方へ通常の速さで歩き、同人を見つめながら通過する。
(d) 仮想犯人は仮想目撃者が通過する際、被害者を狙つているつもりで顔を上げ、目撃者を見送るように顔を動かす。
(e) 仮想目撃者は、仮想犯人の前を通過した後しばらく歩き、仮想犯人に背を向けたまま待機する。
(f) 約一〇ないし一五分後に仮想犯人グループ全員を約四メートル離れたところに立たせて(六ワットの蛍光燈で約四メートル離れたところから照射)約三〇秒間対面させ、仮想目撃者に自己が目撃した仮想犯人を指摘させる。
というものであり、この検証中、同地上空の雲量〇、月の照度は常に0.27ルックスであつた。
この結果は、延べ二一個の回答のうち一二個が正解(約五七パーセント)であり九個が誤り(約四三パーセント)であつた。
③ 第五回検証においては、右(a)における仮想犯人は前同警察官五名であるが総て新人を起用、仮装目撃者は一二名(視力一名が0.7他は1.0以上、裁判官二名、裁判所職員五名、司法修習生五名)であること、(d)で仮想犯人がすつと立ち上がること、右(f)で、約一〇分後に、仮想犯人グループ中の任意の一名を仮想目撃者から約四メートル離れた地点に立たせて約一五秒間対面させ(照明は前に同じ)、仮想目撃者に、自己が目撃し仮想犯人に合致するか否かを答えさせることの各部分が異なるほか、第四回検証と同様の方法を採つた。右検証中の同地上空の雲量〇、月の照度は0.25ないし0.26ルックスであつた。
この結果は、延べ六〇個の回答のうち三七個が正解(約六一パーセント)であり、二三個が誤答又は回答不能(約三八パーセント)との答えであつた。なお、同一人物が出て来た時の正解率は42.3パーセントであり、別人が出て来た時これを同一人であるとする誤答率は23.5パーセントであつた(なお、検察官は、別人がでてきたのに同一人物と誤答するのは二六例中の僅か六側というが、三四例中の八例が正しい。)。
(5) 右各検証は、必ずしもB子らの目撃状況を完全に再現したものとはいい難いこと、仮装犯人役の選定が難しいこと、また、事例数も二一例及び六〇例でしかないこと、犯人識別能力には個性があると考えられるのにその差異については調査ができないこと、同一人と認定する際のためらい等の点に鑑みると、その結果として出てきた数字、すなわち犯人識別供述の四割近くが誤りであるという数字を無条件にB子らの供述についても前提とすることはできない。
しかしながら、本件犯行時の被害者らの観察は、暴漢に襲われるという異常な興奮状態でのものであるのに対し、右検証における仮想目撃者の観察は、冷静な状態でしかも人物の識別をまさに問題とするという意識のもとでなされたものであつて、右検証の正解率が実際よりも高くなることは容易に考えられるとしても、著しく低く現れる可能性は少ないということができるし、また、目撃者の証言が確信的であるからといつてその信用性が高いものではないことも経験則上明らかである(渡部保夫「犯人識別供述の信用性に関する考察」判例時報一二二九号、一二三二号、一二三三号参照)。そうすると、B子の「犯人は請求人であつた。」という証言が必ずしも誤りとは言えないことはもちろんであるが、この証言を過度に信頼し、絶対視することもできないことは、右検証により明らかと言うべきである。
2 請求人の自白について
(一) 次に、弁護人らは、請求人が一時的に犯行を認めたとしてもそれに証拠価値はないこと、すなわち、自白の信用性を否定する新証拠として、請求人、証人甲川花子、同F及び同G並びに請求人が弁護人相馬達雄に宛てた三六三通に及ぶ手紙を掲げ、これらをもつて、請求人の本件発生以前からの生活態度、善良な性格、確定判決後の生活態度、本件再審請求にかける熱意等を立証し、延いて請求人の捜査段階における自白が内容虚偽のものであることを明らかにするとしている。
右各証拠(請求人を除く)のうち、確定判決裁判所の審理当時までの請求人の生活態度から請求人の人格を立証しようとするものについては、それらの証拠の性質上、請求人においてその存在を知つておきながらその請求を怠つていたというべきであり、特に弁護人控訴趣意書によれば、甲川花子については、確定判決裁判所において既に取調べ済みであると認められる(書二四七丁)から、同人については右の立証趣旨に関する限り新規性は認められないが、確定判決後の事実に関し、新しい証拠方法により、新しい証拠資料を得ようとするものについては、その限度において新規性を有するものと言うことができよう。しかしながら、右各証人や請求人の三六三通に及ぶ手紙が、請求人の確定判決後の生活態度や無罪獲得への執念を証明し、これによつて自白の信用性を揺らがせる点において新規性を有するとしても、一般に、判決確定後に請求人がいかなる行動をとり、いかなる生活をしていたかによつて、直ちに請求人の捜査段階ないし公判における供述の信用性が揺らぐものとは言い難いから、請求人の判決後の行動を立証する証拠は、それ自体独立して無罪を言い渡すべき明らかな証拠にあたるなどということはできない。
とはいえ、本件においてこれをみると、前記認定の請求人の再審請求経過に加え、甲川花子の申述調書(調二四〇丁以下)及び請求人の弁護人相馬達雄宛の三六三通の手紙(書一四五丁別冊)その他当裁判所における事実調べの結果によれば、請求人は、懲役三年の服役を終えるや(昭和三三年一月二六日刑執行終了)、間もなく元の雇主Fの好意により、再び株式会社××製煉所に戻つて内妻甲川花子とともに工員として働き、同三三年八月ころ内妻とともに退職をした後は、熊本市内の風呂屋に三助として住み込み、その後内妻の実家がある大阪府○○市に移り住み、以来同所において、氷屋、繊維会社、起毛会社の工員などとして約一三年間稼働し、昭和四六年ころ雑役夫の仕事を最後に、××起毛株式会社を定年退職したが、その間犯罪を犯すこともなく、内妻とともに平穏に生活を続け、退職後は肩書現住居において年金生活に入つているところ、右刑執行終了後間もなくの昭和三四年九月ころから三〇年間近くにわたり無罪を主張し続け、それも、法的知識に乏しい請求人が、経済的にも時間的にもかなりの負担を背負いながら、ほとんど中断することなく主張し続けていることが認められるのであり、この事実は、自白が有罪認定の重要な地位を占めている本件確定判決の証拠構造に照らすとき、簡単には無視し得ないものであるように思われる。
(二)(1) 請求人の供述
既に五4(一)(1)で述べたとおり、確定判決における証拠のうち、請求人の自白は、捜査段階の極く初期のうちになされ、のち捜査公判段階を通じ否認に転じているが、具体的な内容を有する自白としては司法警察員に対する昭和二九年八月一四日付供述調書のみである。この自白に至つた経緯について、請求人は、第一、二回各申述調書(調一丁、同二六七丁以下)において、要旨以下のように述べている。
請求人は、前記五3の(二)及び(三)の経緯で警察官の取調べを受けることになつたが、その警察官とはI某巡査であり、まず、前記J商店から、近くの駐在所まで連れていかれた。駐在所では、同巡査から陰茎を見せろと言われ、これを見せたところ、請求人がJ商店から駐在所に連れていかれる途中でした立小便により陰茎が濡れていたため、同巡査からこれを精液の残りと見られて「こいつはやつとるやつとる。」と言われた。駐在所で二〇分か二五分経つた後、松橋署からd某刑事が来て、同人から被害者の膣内から取つた精液だとして綿のようなものを見せられ、「こりや甲山の精液ぞ。」と言われた。それから今度はジープで松橋署に連れていかれた。午後一一時半ころ同署につき、取調べ室において初めはd刑事一人の取調べを受けたが、同刑事は二階から一階に届くような大声で「おなごはお前て言いよるぞ。」と言つたりしながら二〇分以上取り調べた。その後取調べ室に警察官が三、四人ぞろぞろと入つてきたうえ、「おなごはお前て言いよろうが。」「主任さんが自白せいと言いよるやさかい自白せい。」「早う言え、早う言え。」等と言つて後ろをずつと取り巻き、肩等を小突いた。頭を叩かれたり蹴られたりこそしなかつたが、d刑事はその一歩手前で、今にも打ちかかるようなけんまくであり、同刑事は、「奥さんが家で待つているだろう。自白すればすぐ帰してやる。」「否認すれば懲役何年でもぶち込んでやるぞ。」などと言つた。また、同じ取調べ室のつい立てで遮つた向こう側では、被害者らも取り調べられており、d刑事は、同女らに対し、請求人にも聞こえるような声で「甲山は否認してるぞ。事件認めとらんぞ。甲山に間違いないか。」などと尋ね、それから請求人に、被害者らが請求人を犯人に間違いないと言つている旨伝えて取り調べるといつた状況であつた。このような取調べが三〇分間続いたが、請求人は、自分は犯人ではないと言い張るうち、このままではどんなことをされるかもわからないと考えて恐怖し、d刑事の言うとおり自白したらすぐ家に帰れるとも考えて自白することとし、同刑事の誘導にのつて「ハイ、ハイ。」と答えて調書を取られた。
そのようにして自白したことで家に帰してくれると思つたところが、そのまま身柄を拘束され、翌朝午前五時半ころから今度は現場における実況見分に立ち合わされた。そこでは、刑事から色々なことを聞かれ、今度は明確に否認はしなかつたものの、自分としてはやつていないからと思つてその趣旨のことを言い、刑事の問いにはちんぷんかんぷんの曖昧なことを答えていたところ、刑事のほうで勝手に堤防の上で強姦をしたような実況見分調書を作つていつた。
その後、再び松橋署に戻つて取調べを受けたが、今度は下手に認めると大変なことになると直感し、T刑事に対し「夕べああいうふうな事実に近いようなことを証言しましたけれども、私は、そういう事実はありません。何とか訂正してください。」と述べたところ、同刑事は、しようがないなと言いながら調書を作成した。その後は、警察、検察の取調べとも総て否認し続けた。
(2) 右請求人の取調べ状況に関する供述のうち、警察官に対し自白した後は総て否認したという点は、検察官に対する前記弁解録取書において犯罪事実を概括的に認めたように推測されるので、必ずしも正確な供述とはいえないとしても、これらが総て真実であるとするならば、取調べ警察官による威嚇、利益誘導がなれており、その自白の任意性には疑いがあると言わざるを得ないであろう。しかしながら、これは請求人の側の一方的な供述であつて必ずしもそのまま措信することはできないほか、請求人は確定判決に対する控訴趣意書の中でも極めて舌足らずであるが同旨の主張をしているのであつて、このことからすると、確定判決裁判所の審理においても請求人は被告人質問等においてある程度は同様の主張をしていたか、又は同様の主張をすることができたものと考えられるところ、確定判決裁判所は請求人の自白の任意性はもちろん信用性をも認めて証拠の標目中にこれを掲げ、控訴審判決も「被告人の司法警察員に対する昭和二九年八月一四日付の供述調書中の自白をもつて措信し得ないものとすべき理由を発見し得ない。」旨その理由中で述べている以上、現在の請求人の右供述をもつてその自白の任意性ないし信用性に疑問を生ぜしめる新規性ある証拠などということはできない。ただ、W(調一九八丁)及びX(二一四丁裏以下)の各申述調書その他弁護人控訴趣意書の記載等によれば、確定判決裁判所の審理において、取調べ警察官を証人として取り調べるなど、特に被告人の自白の任意性が問題となり、深くこれを検討したとは認め難いのであつて、現在における前述の請求人の一貫した再審請求の態度、取調べ状況に関する詳細かつ具体的な供述内容及び捜査段階における供述の変遷、自白撤回後の供述の一貫性(なお検察官は、請求人の供述の経過は特異であると主張している。成程確定判決が弁解録取書を特段の留保もなく掲げているところからすると、これらが、犯罪事実を肯認する旨の自白ないし不利益事実の承認を含むものであろうことは推察に難くないが、しかし勾留質問調書が挙示されていないところからすると、検察官面前で一たん事実を認めた後その直後の勾留質問の際再び否認したとも推認しうるのであつて、以上によれば、請求人は昭和二九年八月一四日早朝警察官に自白したのち、同日中に否認したが、二、三日後の検察官面前の弁解録取に際し、一たん事実を認めたものの、その直後に再び否認に転じたという経緯であり、特別異とするに足るものとはいえない。)に照らすとき、自白が誘導によつてなされたとの請求人の主張も簡単に無視しうるものではないと言えるであろう。
3 血液型について
(一) 弁護人らは、本件被害者A子と請求人の血液型はいずれもO型であり、請求人の妻のそれはA型である。ところで、褌、ズロース、ワンピースに附着している血液型はA型又はB型であり、それも鑑定によつて区々となつている。褌に少々の精液が附着しているのは当たり前であつて、しかも請求人は前日妻甲川花子と性交し当日褌を取り替えていない旨述べ、右褌に精液が附着していなかつたという月山鑑定もある。したがつて、血液型一致による有罪認定は初めから有り得ない。そうすると、証拠価値の有るのはズロースに精液が附着していたということのみであるが、精液の新旧については取調べられておらず、本件犯行時に附着した精液か否かは不明である旨主張し、右事実を証明する証拠及び疎明資料として、甲川花子の弁護士中嶋達治に対する供述録取書写し(甲第三四号証)、泉大津市立病院作成の甲山太郎に関する「血液型検査成績」と題する書面写し(甲第一九号証)、浜寺中央病院作成の甲山太郎及び甲川花子に関する各「血液型検査成績」と題する書面写し(甲第二〇号証、第二一号証)、京都府立医科大学教授吉村節男作成の鑑定書写し(甲第三九号証)、群馬大学医学部教授古川研作成の血液鑑定に関する文書の写し(甲第四一号証)、神戸市生田区楠町七の一二神戸大学医学部法医学教室内の証人竜野嘉紹を掲げている。右主張のうち「右褌に精液が附着していなかつたという月山鑑定」という部分は、同鑑定が右褌の中央部分のうち別紙(五)の「本鑑定前に切り取られていた部分」については鑑定不能という判断であり、同部分については先行するS鑑定によつてA型の血液型をもつ精液の存在が認められたとされているのであるから、誤りである。またその主張の趣旨には明確でない部分もあるが、確定判決が、この精液ないし血液型の点に関し、前記のとおりS鑑定のうち「ズロース並びに褌に各精液の附着を証明する旨の記載部分のみ」を証拠として掲げているところからすると、ズロース及び褌に附着していた精液はいずれも本件犯行時に附着したものであると認定して、これを有罪認定の一助としているものと考えられるから、弁護人らの右主張は、結局確定判決裁判所の取り調べた鑑定書は褌に附着した精液の血液型をA型としているが、右精液がO型の血液型をもつ請求人のものであることは明らかであるからこれは誤りであるうえ、ズロースに附着している精液及びワンピース(簡単服)に附着している血液のそれぞれの血液型につき一方の鑑定書は前をA型、後者をB型とし、他方の鑑定書は前者をB型、後者をA型としており、鑑定によつて区々となつているから、右の鑑定書によつて血液型が一致するとして請求人を有罪と認定することはできず、そうすると、ズロースに精液が附着していたことのみが証拠価値があるがその新旧を知ることができないから、これが本件犯行時に附着した精液か否か不明である、ということに帰する。してみると、右主張は確定判決の当否をその取り調べた証拠に基づき単に論難するに過ぎないもののようでもある。
しかしながら、更に、この精液附着ないし血液型の点に関し、弁護人らが前記各証拠のうち血液型の変化の可能性についての証拠である京都府立医科大学教授吉村節男作成の鑑定書写し(甲第三九号証、書一〇六丁ないし一一一丁)、同じ立証趣旨の群馬大学医学部教授古川研作成の血液鑑定に関する文書の写し(甲第四一号証、書一三一丁以下)、同じく神戸市生田区楠町七の一二神戸大学医学部法医学教室内の証人竜野嘉紹を提出ないし請求しているところによれば、弁護人らは、右のような主張のほか、確定判決は、右各附着精液が請求人のものであることを前提とし、従つて血液型は彼此同一であるべきところ、控訴審判決の摘示するような事情で鑑定の結果が異なることも往々生じうる、との見解に立脚するものと善解したうえ、右見解が誤りであることを併せて主張しているものとも解されるが、確定判決裁判所の審理において、この点が特に問題となり証拠調べが施行されたとの形跡を窺うことができず、従つて、右各証拠は、確定判決裁判所の審理中に請求人の側で提出する可能性がなかつたのであつて、右は、新しい証拠方法によつて、確定判決のよつて立つ経験則を誤りであるとする他の経験則を立証するものと考えられるから、新規性があると認められる(検察官は、右各証拠は新規性がないとし、東京高裁昭和五五年(お)第六号、同年二月五日決定、高刑集三三巻一号一頁を挙示するが、右は本件と事案を異にし適切ではない。)。
そこで、ズロース及び褌に附着した精液が請求人のものであるかどうかについての実質的判断にはいることとする。
(二)(1) 前記のとおりS鑑定書は現存しないが、前記月山鑑定及び弁護人控訴趣意書などによれば、S鑑定は、請求人が本件当夜身に付けていた褌、A子が着用していた白簡単服、黒ズロースにつて血液及び精液附着の有無並びに附着していた場合それらの血液型について鑑定を行つたところ、①褌のほぼ中央部(別紙(五)の「本鑑定前に切り取られていた部分」)に精液の附着を認めたが、その血液型はA型であり(体液については血液型が分泌型である場合に判定が容易になることからすると、右は分泌型のA型ということになろう。)、②ズロースに精液の附着を認めたが(ズロースのいかなる部分についてどのような手順で検査をしたか右鑑定書やS証言を記載した公判調書が現存しないために知ることができない。)、少なくとも前面中央からやや左によつた腰の辺り(別紙(三)、(四)の「本鑑定前に切り取られていた部分」)に附着していた精液の血液型は分泌型のA型であり、③簡単服に附着する血液のうち、前面腰部に付いている左ポケットの右斜め下辺りのもの及び後面のすそ右側附近のもの(別紙(一)、(二)の「本鑑定前に切り取られていた部分」)の双方又は一方の血液型はB型であること、また、月山鑑定は、①褌には精液の附着を認めず(但し前記S鑑定において中央部分が切り取られているのでこの部分は鑑定不能)、②ズロースについては、全体を精検し、常光線下で淡灰白色を呈する前面の附着物四個所(別紙(三)のり、ぬ、る及び、(四)のり、ぬ、る、を、わ)と、暗室内file_8.jpg過紫外線下で淡黄橙色の蛍光を発する会陰部の四個所(同(三)、(四)のか、よ、た、れ)の計九個所について、精液予備試験としてのフローランス試薬を加えたところ、前者のうち三個所(同り、ぬ、る)で結晶を形成したので、更にこれらの部分にパエツキー氏法により精子染色を行つたところ、そのうちの一個所(同り)については人精子と判断されるもの二個を確認、その血液型はB型らしく判定された、③簡単服には、右肩、左腋下、左すそ及び右膝下に相当する部位にそれぞれ淡褐色調の赤土らしいものが附着し、右ポケットの表面には淡緑褐色調の草の汁のような色素がこすり付けられたように附着しているほか、別紙(一)のとおり、服の前面中央より左寄りのところ左ポケットとの間に二個の淡褐色小斑点(い、ろ)と二個の服地欠損部(鑑定書本文中では一個と記載されているが、添付図面に照らすと誤りと考えられる。)を、また、別紙(二)のとおり、服の後面右すその縁に近いところに、淡褐色調の小斑点(に、ほ、へ、と)と二個の服地欠損部を認め、右「い」ないし「と」の部分につき血痕予備試験を行つたところ、「い」及び「ろ」は血痕らしいと判定され、更に血痕本試験を行いこれらが血痕であることまでは判明したが、前記切り取られていた部分は鑑定不能であり、残余部分もその血痕の量が極めて微量であつたため、人血反応は顕著でなく、恐らく人血痕ではなかろうか、と推測する程度のものであり、その血液型の判定は困難と予想されたが、検査の結果、A型ではなかろうかと判定される程度にとどまつたことが、それぞれ認められる。
また、本件再審請求後検察官が提出した乙野A子作成の任意提出書、司法巡査作成の領置調書、熊本県技術吏員作成の昭和五九年六月二一日付鑑定書(いずれも謄本、書二一二丁以下)によれば、A子の唾液から判定される血液型は非分泌型の傾向を示すO型であり、請求人提出の泉大津市民病院作成の請求人に関する「血液型検査成績」と題する書面写し(甲第一九号証、書五一丁)、浜寺中央病院作成の甲川花子に関する同様の書面写し(甲第二一号証、書五二丁)及び大阪医科大学教授松本秀雄作成の昭和六二年一〇月二一日付鑑定書(書三七六丁ないし三八〇丁)によれば、請求人の血液型はO型、甲川花子のそれはA型であつて、両名とも分泌型であることが認められる。
ところで、精液が人間の体液である以上、それには血液型があり、血液型が異なれば同一人の体液ということはできないところ、S鑑定及び月山鑑定のいずれの鑑定も、問題となつているズロース及び褌に附着した精液の血液型を請求人の「O型」とは異なる型に判定しているから、通常の経験則からすれば右ズロース及び褌に附着した精液は請求人の精液ではないということになるはずである。ところが、確定判決は、S鑑定の褌及びズロースに精液附着部分がある旨の記載のみを採用しているのであり、これは同時に、同鑑定の血液型に関する部分は採用しない、すなわちその部分が誤つた鑑定であつて信用できないという判断をもしているということにならざるを得ない。ただ、その内容を細かく分析すれば、①鑑定の検査自体が誤つたものであるとの判断であつた場合と、②右鑑定の検査は正確なものであつたが、附着した精液の部分が既に鑑定時において他の物質によつて汚染され、又は変質して他の血液型を示すようになつていたとの判断であつた場合との二者が考えられるであろう。
(2) そこで①の可能性を考えるに、久留米大学医学部教授原三郎作成の鑑定書(書三六〇丁以下)及び同人の申述調書(調三九一丁以下)によれば、昭和三〇年ころの血液型の検査方法としては凝集素吸収試験法が一般に用いられており、この方法によれば非分泌型の体液であればABO式の判定ができないが、分泌型であれば可能であつて、その後採用された微量の対象物であつても判定できる解離法とともに、現在も用いられている試験方法であるし、当時の警察の技官は一般に十分信頼できる鑑定技術をもつていると認められる。従つて、本件S鑑定においてもこれを信用できないものとすべき理由を見い出し得ない(なお、月山鑑定の記載によれば、ズロース及び褌においてS鑑定に用いられたと考えられる切除部分は各一個所であつて、S鑑定は通常行うべき対照試験を行つていない疑いもあるが、右月山鑑定で行つた対照試験においても対照部は特定の血液型に反応することはなかつたのであるから、結果において影響を及ぼすものとは言えない。)。この点、控訴審判決も「血液型の鑑定は被検物質の新旧度対照物質や他物質の混入等により異なる結果が現われることも往々生じうることであるから」と述べていることからすれば、確定判決裁判所は、右①の考え方に依拠したのではなく②の考え方に依つたことが窺われる。
(3) 次に、②の可能性を考えるに、請求人提出の京都府立医科大学教授吉村節男作成の鑑定書写し(書一〇五丁ないし一一一丁)、群馬大学医学部教授古川研作成の血液鑑定に関する文書の写し(書一三一丁以下)及び前記原三郎の申述調書(調三九六丁以下)、同人作成の鑑定書(書三六〇丁以下)を総合すれば、時間の経過により血液型が変化する可能性はかなり低いのであつて、土中や細菌(腐敗菌など)中に長期間放置されるといつた特異な状況下では、細菌中のA、B、H型各活性が作用し、他の血液型に変化することがあるが、通常の場合は、湿度が高いなど悪い保存状態のもとで長時間経過した場合に血液が腐敗をし、血液型が壊れる可能性があるに過ぎず、その場合も、A型、B型相互間で変化することは先ず少なく、A型やB型の因子が破壊される方、すなわちA型、B型、AB型がO型に判定される方向に変化するのであつて、O型がA又はB型になることはないと考えられること、そして、凝収素吸収試験法の場合は、量的な問題が大切であつて、対象物は0.5平方センチメートル位の面積が一応必要とされ、型物質は保存状態が良好であれば何一〇年と残るものであつて、乾燥状態に保存されておれば鑑定が可能であること、他物質の混入による汚染の場合はその後の検査を正しく行つても真実と異なる血液型を示すことはあるが、そのような誤りを防ぐため検査時に肉眼でも精査し、汚染の認められない部分の対照試験を行うから、肉眼で識別困難な不純物がたまたま鑑定部分にのみ附着したような場合にしかそのような誤りは起こらないはずであり、このような場合として最も容易に考えられるのは、性交時の相手方の膣液等の体液による影響の可能性であるが、その場合は膣液対精液の比率が一対一〇位までは膣液の血液型が精液の血液型として現れ得ること、一般に精虫の頭部と尾部が顕微鏡下で認められるのは射精後一、二週間であつて、この程度ならその精液は非常に新しいものということができることなどの経験則があることが認められる。
そこで、以上のような経験則に基づいて、①褌に附着した精液が請求人のものであることは自明であるのに、これがA型の血液型を示しているのは何故か。②簡単服に附着した血液の血液型が、S鑑定ではB型であるのに、月山鑑定では「A型ではなかろうか」と判定されたのは何故か。③ズロースに附着した精液の血液型が、S鑑定ではA型であるのに、月山鑑定では「B型らしく」判定されたのは何故かの三点について、更に考察してみる。
先ず①について考えてみると、この点について、請求人は確定判決当時から前日の内妻甲川花子との性交によるものと主張し、弁護人控訴趣意書(書二四七丁)によれば、確定判決裁判所の第五回公判において、同女が右同旨の供述をしていることが認められる。現在においても請求人及び同女はそのように供述しているのであつて(同人らの各申述調書、調二八七丁裏、二四八丁裏)、前記のとおり、同女の血液型は分泌型のA型であり、右性交後褌を替えなかつたことも同人らが一致して供述しているところからすると、結局請求人の陰部に附着した花子の膣液や汗などの体液が褌中央部付近に附着し、これが請求人の精液と接触し、混合することによつて、本来「O型」であるべき請求人の精液の血液型が「A型」に発現したものと解することができる。そして、弁護人控訴趣意書第二点(書二四六丁)によれば、確定判決裁判所の公判期日において、証人Sが、褌とズロースも同様な方法で検査をしたが、ともに顕微鏡下で精虫の頭部と尾部を持つたものが認められ、新旧については別段の差異を感じなかつた、しかし精虫を認めることができた点からして余り古いものではないのではないかと考えられる、という趣旨の供述をしていることが窺われ(なお右証言は確定判決の証拠の標目中には挙示されていない。)、右によれば、褌から発見された精子は、射精後一、二週間以内の新鮮なものであると認められる。従つて、請求人主張の右射精の時期を裏付けうるものである。してみると、請求人着用の褌から、その血液型と異なる「A型」の精液が検出されたことは決して不自然なことではなく、このことによつてS鑑定の右判定を誤りということはできない。
次に②について考えてみると、月山鑑定によれば、これらの血痕は極めて微量であつて、「恐らく人血ではなかろうか」と推測できる程度であり、血液型の判定も困難と予想されたが、検査の結果「A型ではなかろうか」と判定された(書二五八丁以下)というのであり、一方S鑑定については、その検査内容を全く知ることができないが、弁護人控訴趣意書によれば、「B型」と判定されたもの(書二四七丁裏)と窺うことができる。してみると、本件資料が微量のため、月山鑑定においてはその血液型を確定し得なかつたと考えるべきであろうから、同鑑定における「A型」との結論にさして重要性はなく、一方S鑑定においても、右血液附着の分布状態などからすると恐らく同様の事態で、血痕が極めて微量ではなかつたろうかと推測されるから、S鑑定の「B型」との結論が明らかに誤つているとか、又は相当程度正しいとかとは言えない場合ではなかろうかと考えられる。なお、右両鑑定からすると、右血液型が「O型」の可能性があると断定することもできず、従つて、右血液が請求人のものであると認定することはできない。
更に③について考えてみると、本件における鑑定状況すなわち、被害者A子の血液型は非分泌型と思われる「O型」であつて、「A型」をもたらすものではないこと、A子は本件被害にあつた後直ちにズロースをはき、間もなく警察に保護されて事情を聞かれ、そのころ前記のようにズロースを提出していること、S鑑定は、昭和二九年八月一九日付で作成されており、本件犯行のあつた同月一三日から六日以内に右鑑定が行われていること、採取した部分の面積が一平方センチメートルであること(書二六〇丁裏)からして、資料の量は充分ではなかつたかと考えられること、精子が新鮮であつたことなどを考え合わせると、S鑑定において、「A型」と判定されたズロース前面やや中央部よりの左腰付近に附着した精液の血液型が、月山鑑定と対比し誤つているなどと言うことはできず、同鑑定が、或いは対照試験を行つていないのではないか、検査が網羅的ではなかつたのではないかとの疑いを有することを考慮しても、右部分の鑑定の結果は寧ろ正確であつたのではないかと評価することができる。しかし、他面月山鑑定書といえども、本件発生から一年一か月後に完成されたもので、かなり遅れて検査が行われたものであるにせよ、ズロースの保存状態はかなり良好であつて、セロファン紙に包み、茶色大型封筒に入れ保管してあつた(書二五七丁)と認められるから、土や湿気、腐敗菌等に晒される状態ではなく、また検査の結果についても、別紙(三)、(四)の前記り点は、比較的斑痕が広く長さ約二センチメートル、幅約0.5センチメートルで、資料の量としても充分なものがあつたと推認されること(書二六一丁裏以下)、S鑑定におけるよりも、寧ろ厳格な手法で、網羅的に検査されていると考えられること、前記のように「A」、「B」型間において血液型が相互に変化することは先ず少ないことからすると、その血液型が「B型らしく判定された」とする結論を、一概に誤りであるとして排斥する根拠はないように思われる。
してみると、右ズロースには①前面やや中央寄り左腰辺りに一個所精液の附着を認め、また、②別紙(三)、(四)に示す、前面ほぼ中央部のり点、その上のる点、り点の左側のぬ点の三個所に精液と思われる反応を認め、その血液型は①が「A型」、②のうちのり点に人精子二個を認めその血液型は「B型」、ぬ、る点に人精子を確認できなかつたとみるほかはない。そして、右①の部分に附着した精液については、前記のとおり精子の頭部と尾部がともに認められたことが窺われるから、これは検査の一、二週間以内に射精された精液であろうと推定されるところ、S鑑定は、犯行後六日間程で完了しているのであるから、右精液の射精時期は、犯行日である昭和二九年八月一三日の約一週間前ころから本件犯行日までの間であつたろうと考えられ、従つて、右精液が本件犯行日に同所に附着したと考えても一向差し支えがないことになる。他方②のうちのり点部分に附着した精液については、「人精子と判断されるものを二個確認した」(書二六一丁裏)というのにとどまるものであり、①に比較し長期間経過していることからすると、その精液の附着時期を確認することはできないのであるが、①と②とはそれぞれ血液型を異にし、また、同じくズロース前面左側ではあるが、月山鑑定において精液予備試験であるフローランス試薬により結晶形成が認められた別紙(三)、(四)のり、ぬ、る点は、①のS鑑定における検査対象部分とはその位置関係に隔りがある(特に精子が認められ血液型の判定がなされたり点は相当に隔つている。)ことからすると、右①、②は、時期を異にして二人の男性が、各別にA子と性交した際附着した精液の斑痕ではないかと推認することも可能である。
(4) ところで、右によれば、請求人の褌に附着した精液の血液型が「A型」であり、被害者A子のズロースの前面やや中央寄りの左腰辺りに附着した精液の血液型も「A型」であつて、その間に共通のものがみられるところ、この血液型が符合することから、ズロース附着の右精液は請求人のものではないかとの疑問が生じないではない。すなわち、前叙のとおり、犯行時請求人が着用していた褌の中央部付近には、内妻甲川花子の体液が附着していたと推認される(なお、月山鑑定においても、精液以外の単なる附着体液につき血液型の検査を行つてはいない。)から、請求人の陰部の表面にも花子の体液が附着していたものと考えるのが自然であつて、被害者A子を押し倒し、そのズロースを押し下げて姦淫しようとした際、姦淫中又はその前後において射精された精液が、直接或いは間接にズロースの右部位に附着したところ、「A型」である花子の体液(なお、A子の体液の血液型は前記のとおり「O型」)が請求人の精液の血液型に与える影響は前叙のとおりかなり強度なものがあると認められるから、褌に附着した精液が、「A型」の血液型を示すに至つたのと同一の経過により、ズロースの右個所に、夾雑物として「A型」の体液を含む請求人の精液が附着したのではないか、と推認されなくはないからである。弁護人らはこの点に関し、両精液の新旧を知ることができないから、これが請求人の精液であることは不明であると主張しているが、弁護人控訴趣意書によると、確定判決裁判所の審理において、S証人はこの両精液がともに新鮮であつた旨供述していたと思われるから、この両者が犯行時附着したものとの認定も、あながちできないことはないように考えられる。
しかし、当裁判所は、以下の理由により右疑問には理由がないものと考える。
(イ) 請求人の第二回申述調書(調三六〇丁)によると、請求人は、犯行当日の昼熊本市から帰宅した後、裏の小川のところで行水をしたと供述しているのであつて、真夏のことでもあり、一概に措信しえないとすることもできないところ(なお、その際褌は取り換えなかつた旨供述している。)、右によれば、前夜内妻花子と性交した際請求人の陰部の表面に附着した同女の体液が、行水により洗い落されたことになろうから、仮に請求人が被害者を姦淫したとしても、その際射精された請求人の精液が、同女の体液により影響を受けて「A型」に発現する可能性があつたかどうか、甚だ疑問である。
(ロ) 仮に請求人が行水などをしておらず、従つて射精の際その精液中に内妻花子の体液が混入する可能性があつたとしても、①前記S、月山の各鑑定を総合すれば、本件ズロースには「A型」及び「B型」の血液型を有する精液が場所を異にして附着しているところ、両精液の新旧を知ることができないから、「A型」の精液が犯人のものであるのと同じ確率で、「B型」の精液もまた犯人のものである蓋然性が生じるといわざるをえず、従つて「A型」の精液が犯人すなわち請求人のものであるとは直ちにいえないこと、②A子の前記申述調書(調六八丁以下)によると、A子は犯人に捕まつた後堤防の斜面を転がり落ち、下の川原に仰向けに押し倒され、ズロースを足首辺りまで下げられたのち、犯人に躰の上に乗りかかられ姦淫されたと思うと供述し、また請求人の前記司法警察員に対する自白調書の内容も、その詳細は不明であるが、確定判決の事実摘示や弁護人控訴趣意書によれば、ほぼ右と同旨のほか、その際「気が行つて射精した。」と供述しているものと推認される。してみると、このような状況のもとで姦淫行為が行われ、その際「気が行つて射精した。」というのであれば、それは、とりも直さず「姦淫中に射精した。」旨自白しているものとするのが自然であろうから、精液は主として膣内又は外陰部に附着するのが当然であり、これがズロースの前面やや中央寄りの左腰の部分のみに附着するということはありえないと考えられること(尤も、請求人の前記自白調書中には右に反し、射精が姦淫中ではなく、その前後に膣外でなされた旨の供述が記載されていたのではないかとの疑いが存しない訳ではないが、右は極めて特異な供述であるといわざるをえないばかりか、その場合であつても、請求人の精液が被害者のズロースの前記部位のみに附着する可能性はかなり低いのではないかと考えられるうえ、本件のように、請求人の責に帰することができない記録の廃棄処分により記録の再現が殆んど不可能ともいえる場合において、原供述を正確に知ることができないのは誠にやむをえないのであつて、八方手を尽してもなお合理的な推論ができない場合、これを請求人の不利益に取り扱うべきでないことは前述したとおりである。)によれば、ズロース前面やや中央寄りの左腰辺りに、ただ一点附着している精液が請求人のものであると認定することはなかなか困難であると思われる。
以上の次第であつて、被害者A子のズロースには請求人の血液型である「O型」と同型の血液型を有する精液はそもそも附着していないのであり、仮に請求人の精液の血液型が「A型」に発現する要素を含んでいたとしても、請求人の自白を根拠とする限り、右部位に附着した精液が請求人の精液であると認定することは甚だ困難であるといわざるをえない。
(5) 以上によれば、A子のズロースと請求人の褌とに精液附着を認めたS鑑定は月山鑑定と対比し決して誤つている訳ではないうえ、同所の血液型がそれぞれ「A型」を示すとする結論も正しいものと考えてよい。確定判決裁判所は、B子の目撃証言により補強された請求人の自白に主眼を置き、S鑑定については前記のような制限を設けて精液附着部分のみを採証した。この証拠は一見右制限された限度で請求人の自白を補強するかのように見えるが、しかし、これが科学的鑑定をまつて初めて採証の用に供される性格のものであるために、確定判決裁判所は、科学的な検討を経なければ認定することができない筈の精液の血液型について、再鑑定等の手続を経ることなく、前記の不確かな目撃証言及び請求人の自白によつてその血液型の符合を認める結果を招いたのではないか、と考えられる。
本件については、前叙のとおり記録が廃棄されており、僅かに蒐集し得た資料を手掛りに推論を重ね、前記の結論に達した次第であるが、目撃証言の内容や請求人の自白するに至つた状況等については格別、右血液型の点については、記録が現存していたとしても、その結論にさして変りはなかろうと考えられる。
してみると、請求人の自白の核心部分が、前記弁護人控訴趣意書の記載及び確定判決の事実摘示により窺うことのできる、「A子を姦淫し」その際「気が行つて射精した」との供述であることは明らかであるところ、右の結論によれば、右ズロースの左腰付近に附着している精液が請求人の精液であることについては重大な疑問があることになるから、精液附着の事実により、右自白を補強することができないことはもとより、前記五4(一)(5)に述べたように、犯行後間もなく被害者A子を診察した医師Rの証言によると、膣内や、陰部外表に精液の附着を認めず射精の形跡はなかつたというのであり、更に、前記月山鑑定によれば、ズロースを網羅的に精査しても会陰部付近に精液の附着を認めないのであるから、請求人の右自白を虚心にみる限り、右自白そのものが客観的事実に反する虚偽の自白ではないかとの強い疑いを生じさせることになるといわなければならない。
検察官は、その意見書の「四結論」において、請求人の主張によれば、確定判決には疑問点があるかのように見えるが、大部分は確定記録がないための疑問であり、確定記録が存在した時期の過去の再審請求に対する裁判の結果がこれを示していると主張する。しかし、少なくとも精液附着に関する部分は、記録がないことにより生じた疑問などということができないうえ、前記のとおり、本件記録の廃棄された昭和三七年九月一九日ころまでの間に二回(前記三2(一)参照)、請求人自身の手により再審請求がなされいずれも棄却されているが、これらが記録が現存した故に棄却されたなどということができないことは、その再審棄却決定書等を一読すれば明らかであり、特に前掲累次の最高裁決定により、再審請求の道が開かれた昭和五〇年以前の請求に関する指摘としては妥当でないものがある。
七請求人に不利な事実
以上弁護人らの主張に基づいて検討してきたが、一方で、請求人にとつて不利益な事実も存在する。すなわち、
1 請求人の弁解のうち、真犯人らしき者を見たと主張する部分が、当裁判所に明らかになつただけでも、昭和二九年八月一五日付司法警察員に対する供述調書、同月一九日付検察官に対する供述調書及び請求人控訴趣意書においては概ね「自転車に乗つた二人づれ」「熊本南警察署鑑識課勤務のVに酷似している」との主張であつたのに、その後の再審請求においては「丁川一(初?)であつた」と変遷していること
2 当再審請求の段階である程度確定した弁解は「映画を見終わつてかき氷を食べた帰り道、砂川堤防沿いを歩いていたところ、本件現場と見られる地点から約五〇〇メートル手前で女の悲鳴が聞こえたが、若い者の悪ふざけだろうくらいに思つてそのまま歩いていた。すると、右犯行現場と思われる附近を通るときに後ろの方の、河原と反対側の藪から男が出て来て、自転車に乗つて請求人を追い越していつた。その際自分は振り向いてその男を見たが、自分と同じように丸首シャツを着てステテコを履いており、頭から××精煉の法被を被つており、その男の顔も月の明かりで見えた。おかしいなと思いながらそのまま歩いていたところ、J商店前で女性から呼び止められた。」(請求人の当裁判所に対する申述調書二及び第一回検証調書、調二八一丁以下、一三八丁以下)というものである。そうすると、犯行現場は堤防南側の河原であるから、請求人が主張するように、真犯人と思われる男がその反対側である堤防北側の藪から出てくるためには、請求人が同所を通り過ぎる前に請求人が視認しうるであろうと思われる地点辺りで、請求人の進路前方の道を横切らなければならないはずであるが、請求人はこれに気づいておらず、この説明が困難であつて請求人にアリバイがないこと
3 請求人が逮捕された当時、その陰茎が濡れており、頭部には古くない傷が存在したと認められるところ、請求人は、陰茎が濡れていたのは途中で立小便したためであり、頭部の傷は当時の職場であつた××精煉での作業中に角材にぶつけてできたものであると弁解しているけれども、I巡査はこのような状況からも請求人を犯人であると判断したと思われること
などである。
しかし、右の諸点については、当裁判所の事実調べの結果によつても、請求人と本件罪体とを結びつけるような事実とはなり得ず、請求人の審尋の結果等によつて、それなりの解明がなされたのであり、右の諸点により先に生じた疑問が到底解消されるものとは考えられない。
八結論
以上を総合して、本件再審請求の当否を判断するに、先ず、弁護人らの主張するところを順次検討してみると、そのいずれも請求人のいわゆるアリバイを立証したり、真犯人の存在を立証したりするものではないから、新証拠のみによつて請求人が無罪であることを明らかにすることはできない。しかしながら、確定判決は前記五5等で述べたように種々の疑問点を残したまま、B子及びA子の証言、請求人の自白並びに請求人の褌とA子のズロースに精液が附着している点に信用性を認め犯罪事実を認定しているといつたいわば脆弱な証拠構造となつているのであり、その確定判決が請求人の有罪認定の柱としたと思われる証拠にはいずれもかなり疑問があることはこれまでの検討により明らかとなつた。そこで、前記累次の最高裁決定の説示するところに従い、当裁判所が新規性ありと認定した前記各証拠につき、更に、これが刑訴法四三五条六号所定の「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」と認められるかの点につき検討してみると、当裁判所において取り調べた右各証拠が、確定判決裁判所の審理当時に提出され他の全証拠と総合的に評価判断されていたならば、確定判決裁判所は、確定判決における事実認定につき合理的な疑いを抱き、「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則に従い到底有罪の認定には到達し得なかつたと考えられる。従つて、右各証拠は刑訴法四三五条六号所定の無罪を言い渡すべき新規かつ明白な証拠に当たるというべきである。
よつて、本件再審請求はその理由があるから、同法四四八条一項により、本件について再審を開始することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官荒木勝己 裁判官野﨑彌純 裁判官鹿野伸二)
別紙(一)〜(六)<省略>